エロ偉人伝 ~性を謳歌した偉人たち~


SNSがある現代、女遊びが出来なくてモヤモヤしてる方達がたくさんいるのではないでしょうか。
ちょっと飲み会しただけで炎上したり、相手が未成年だったり・・・。もはや無理ゲーに近いです。
昔の方達は一体どんな風に遊んでたのでしょう?
偉人たちのエロ事情をお届けいたします。

伊藤博文(いとうひろぶみ)

まずはこのお方。日本の初代内閣総理大臣である「伊藤博文」
この方の女遊びはめちゃくちゃ有名です。
当時の明治天皇に「お前は女遊びしすぎだ!」と注意され
「俺の趣味は女遊びだ」と言っちゃうくらい自他ともに認めるミスター女遊びです。
時代が明治で良かったですね。今だったらめちゃくちゃ叩かれてたでしょうwww
結婚していて奥さんもいたんですが、それ以外の多くの女性と関係を持っていました。
こんな奴が日本のトップというのは羨ましいような、腹が立つような
何とも不思議な感覚であります(‘ω’)ノ
まぁ今なら一発で失脚でしょうけど、当時は特に問題なかったのでしょうね。凄い時代だ!
カー〇ックスを日本で初めてしたのも伊藤博文だと言われています。
本当かどうかは分かりませんが当時は馬車なのでとても狭くてヤリにくいだろうにwww

小林一茶(こばやしいっさ)

江戸三大俳人の1人である小林一茶。
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」など有名な句がたくさんあります。
実は小林一茶、51歳ごろまで童貞だったと言われています。
日本中を渡り歩いて俳句を作っているので、ちょっと変わった人というか、変人というか。
浮世から離れた人だったと言われています。実際51歳ごろまで奥さんがいなかったので
おそらく本当に童貞だったのでしょう。
しかし52歳ごろに28歳の奥さんを迎え入れる事になります。
そこからはS〇X三昧です。52歳という事を考えると素晴らしい性欲です(‘ω’)ノ
1日に4・5回やったりS〇X日記を書いたり、かなり変態よりのプレイがお好きなようです。
奥さんの父の命日にお墓の前でヤッたり、仏壇の前でヤッたり性の最先端を行ってる感じがさいこうですな(‘ω’)ノ

在原業平(ありわらのなりひら)

平安時代初期から前期にかけての歌人。
この人が生涯で抱いた女性の人数が後世に伝わっています。
その人数はなんと「3,733」人!
当時の歌は今でいうラブレターのようなもので(もはやラブレターも古い)
それを意中の女性に送ってはイチャイチャ楽しんでいたそうです(‘ω’)ノ
それを繰り返し繰り返し結果的にとんでもない数になったそう。
在原業平は貴族で身分も高く、歌もうまかったのでそりゃモテにモテたのでしょう(‘ω’)ノ

徳川綱吉(とくがわつなよし)

「生類憐みの令」で有名な江戸幕府の第5代将軍である徳川綱吉。
徳川綱吉は性欲が凄いと言うかちょっと変わった癖をお持ちの方でした。
寝取り癖があり、家臣に「ちょっとお前の妻、抱かせてくれよー」とお願いしていたと言います。
妻を差し出した事により出世した大名がいたりとこちらも変態さんです。
「生類憐みの令」とは一体・・・。