タイ・レディーとの楽しいひとときを求めて
キモオタ肥満男がタイ全土を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」はチャンタブリー・トラート編の第2回。
前夜チャンタブリーの夜を不完全燃焼で終わった僕は次なる訪問地トラート県に夢を託していた。
「トラートにはカンボジア人の置屋があって…」という師匠のお告げも気になっていた。
僕は早朝から息子に叩き起こされると一目散でタイ最南東端の彼の地を目指した。
トラート県チャーン島へ行くためには?
そのトラートにあって最大の観光地と言えばチャーン島。
プーケット島に次いでタイで2番目に面積の大きい島は、直訳すれば「象の島」
だがここに野生の象は生息していない。南に突き出た半島が象の頭に似ていることから名付けられたそうだ。
県の政治は本土のムアントラート郡が中心だがここにはエメラルドグリーンの海とそれを取り巻く観光資源がある。
自ずと観光地によくある風俗もこの地に集中している。
チャンタブリー中心部からはフェリー乗り場まで約80キロ。
カンボジア国境まで通じる国道3号線を基本的には真っ直ぐその後海辺に向けて右折するだけだ。
この3号線、別名を「スクンビット通り」とも言いバンコクのバムルンラート病院に近いソイ1を起点としたあのスクンビット通りの延伸したのがこれ。
渋滞の悪名高きバンコクの幹線道路はこんなところにまで延びていたんだ。
フェリー乗り場まではどんなにゆっくり走っても2時間もあれば十分に着く。
驚いたのはチャーン島に向けてフェリーを就航させている船会社はいくつもあって
船が接岸する施設も本土側と島側のいずれもが会社ごとに別々ということ。
一カ所に大きなまとまったフェリーターミナルがあるのかと思っていたのがなんだか拍子抜け。
僕はその中でも比較的地味な海に滑走路のように突き出た桟橋のある「センターポイント・フェリー」を選びそこから乗船した。
今回のツアーのために実は用意していたものがあった。
チャンタブリーでも教会の撮影などに利用したのだけど僕のこれからの右腕となってくれる遠隔操縦の無人飛行撮影機「ドローン」
高い場所から撮る写真は普段目にしない景色や新たな視点が加わってとっても効果的。
僕はこの日のために貯金をつぎ込んで新兵器を用意しておいたんだ。
ドローンから見たチャーン島を望む景色は絶景だった。
船も桟橋もマッチ箱のようなミニチュアとして写っている。チャーン島の自然も手に取るように分かる。
改めてドローンを入手してよかったと思ったよ。チャーン島ではビーチのほかマングローブが原生林のように生い茂る沼地も撮影するつもりでいた。
カメラレンズと上着は水浸しに!
船は順調だった。波も比較的穏やかに見え「これならば潮をかぶる心配もないだろう」と思ったほどだった。
だがそれは全くの希望的観測に過ぎなかった。沖合に進むにつれて、徐々に大きくなってくる波。
一抹の不安を感じていたところへついに大きな波が船底に激突した。波は砕かれそして大きなしぶきとなって駐車スペースのある1階部分を襲いかかった。
車のすぐ脇で写真を撮っていた僕。手にしていたカメラを守ろうとして上着は水浸しとなった。
フェリーは40分ほどをかけてゆっくりと島の桟橋に接岸した。次々と降りていく車とバイク。その後から徒歩の乗客が上陸をする。
桟橋を上がった先には土産物屋がところ狭しと並んでおりここが観光地であることを実感させてくれる。
10台ほど順番を待ってから上陸すると僕はひとまず今夜の宿と決めていた「ホワイトサンドビーチ」を目指した。
チャーン島は山がちで目標のビーチまで大きな峠を2つも越えなくてはならない。
僕はスマートフォンのグーグル先生に道案内をお願いしてハンドルを切った。驚くことなかれこんな辺境の島の山間部でも携帯の電波は立派に届いていた。
カンボジア人置屋とチャーン島風俗
山を下りホワイトサンドビーチの通りに到着。
とはいえメイン通りとは名ばかりの寂しい街並み。道行く人や車もまばらで日中ということもあってひっそりとしている。
「ここがチャーン島最大の繁華街なのか?」僕は思わずうならずにはいられなかった。
「こんなところにバービアなどの風俗店があるのか?」疑問が尽きることはなかった。
そうは言っても気を取り直して宿探しだ。
僕は立ち尽くした地からほど近いバッファローの剥製が壁に掛けてあった「バッファロー・ビル」というレストラン併設のホテルを見つけると一も二もなくそこに部屋を取ることにした。
腹が減っていたのと早々に現地の情報を入手する必要があると思ったからだった。
レストランで注文した牛ステーキは、タイの牛肉としては固すぎずまあまあだった。味付けもヨーロピアン風で悪くない。
思うにこんなところにも仏印インドシナ(カンボジア)から西洋料理が伝わっているのかもしれない。
そんな悠久の歴史に思いを馳せていた。そして最大の関心事、お姉ちゃんをどう見つけるかを思案していた。
バッファロー・ビルの従業員は宿もレストランも全てカンボジア人の若い男だった。
みな出稼ぎらしい。師匠の言葉を思い起こし僕は聞いてみた。
「島にカンボジア人の置屋はあるかい?」
一人がオーナーに聞きに行くと「あったかもしれないが、分からない」との返事。
「じゃあ普通のバービアはあるかい?」と尋ねるとこの先1キロのメイン通り沿いにあるという。
置屋調査は諦めてバービア街へ出発
薄暮れまで束の間の休憩を取った僕はいざ戦闘にと繰り出した。
目的地まで直線で1キロとは言うものの所々になだらかなアップダウンや寂しい場所もあって「タクシーのほうがいい」と従業員は盛んに言う。
そこで僕はソンテウ型のタクシーを捕まえて目的地を目指した。一人20バーツだった。
車で3分と経たないうちに僕はバービアに到着した。
奥行き、間口ともども20~30メートルほどのエリアにバービアばかり10数軒が密集している。
まだ夜8時、宵の口にもなっていない。それでも通りすがりの店に聞くとそろそろお姉ちゃんが出勤し出す時間なのだという。
手持ちぶさたで待っていられなくもなって僕は向かって左奥の「トイズ・バー」というカウンターバーを選んだ。
店内にはすでに7、8人ほどのレディーがいた。カウンター内にはバーテン代わりのおばちゃんが2人。
客の目の前で平気で電気補修しているあの男もひょっとしたら従業員かもしれない。僕はリオ・ビールを注文し一気に喉を潤した。
冷め切った僕のエンジンを早々にフル回転する必要があった。
若い子と酒を飲み陽気になって・・・。
女の子たちが関心を示して集まってきた。
「お客さん、中国人、韓国人?」
「ここに何しに来たの?」
お決まりの台詞にも丁寧に答えていった。反対に質問を投げかける。「君たちはどこから来たんだい?」
驚いたことにみな東北部イサーンとの答え。ロイエット、ノンブアランプーなど日本人にはあまり馴染みのない小県が多かった。
総じて年齢は20歳代前半か。これらを統括するママがいて30歳代後半とみられた。
定番の卓上ゲームが始まった。黄色とピンクのコインを黄緑のスケールに落とし先に4列を奪取したら勝ちというあのゲームだ。
女の子たちはカモと思ったのか最初から金をかけようという。
ゲームは僕が買った場合には賞金がないという極めて不公平で片務的なルールでスタートした。
結果は僕の圧勝。さすがに悪いと思ったのかママさんが小ビールを1本プレゼントしてくれた。
居心地もまあまあで結局その店には2時間近くいた。
そろそろいい時間だ。女の子たちも盛んにペイバーしてと迫ってくる。まずは相場を知ろうと価格を聞く。
すると一人が「ショートで300、ロングで500」と教えてくれた。驚いた。バンコクの同じクラスの店のほぼ半額だ。
女の子へのチップもショートでせいぜいが1500。中には1000でいいと明言する子もいた。ロングでも2000なのだという。
すっかり安心しきった僕はさらにエンジンを回していこうと注文を重ねた。
さすがにビールはお腹が膨れたのでタイウイスキーと呼ばれるセン・ソームをロックでもらうことにした。いつものように陽気になっていた。
強気になって最大の過ちを犯す!
しばらくして、ふと気づくと横に30歳後半とみられるママが座っている。
さらに気づくとこちらに首を傾けて肩を預けてくる。おいおいおい、そういうことか。
僕のアイドリングは若干回転数を下げたものの、一度始まったドライブはそうは終わらない。「ま、いいか」
そう思い直した僕は今夜のお相手にこのママを選ぶことにした。
カウンターの中にいたバーテン代わりのおばちゃんに僕は言った。「今日はママと帰るよ」
その瞬間、店内は大きなどよめきに包まれた。ビリヤード中だったチーママタイプの女の子も腕を止め呆気にとられて見つめている。
あちこちで「チンロー(本当?)」という歓声も上がっている。そうか、このママ、ペイバーされるのはどうやら初めてだったようだ。
20分ほどして身支度を整えたママがやってきた。何てことはない、眉と髪は薄く少し小腹の出たどこにでもいる普通のおばちゃんだ。
とはいえ、決断した以上前言を撤回してはならない。僕は力を振り絞って立ち上がった。
「後は野となれ山となれ」
そんな格言が脳裏をよぎった。
通りに出てみたが一台の車も走っていない。ところがママは落ち着いた様子で近くにいた手持ちぶさたの男に何やら話しかける。
すると路肩でエンジンを止め駐車していたソンテウがいきなりライトを放った。なるほど、こうやって客待ちをしているのか。
宿までの道のりでもママは肩を預けてきた。やる気満々といった様子だ。夜風が心地よいがさらなるガソリンの注入が必要と判断された。
そこで僕はホテル近くのセブンイレブンに入ると、ビールと酒、少しのツマミを買いあさった。ママは好物らしく割きイカを注文していた。
ホテルの周辺はすっかり寝静まっていた。僕たちは忍び足で部屋に上がり込んだ。シャワーを浴び間もなく戦闘が始まった。
僕はもう少し酒を飲み続けたかったが相手がそれを許してくれない。仕方なく瓶ビールをラッパ飲みしながら奮闘し局地戦を突破していった。ママはあちらこちらで悲鳴を挙げて玉砕。圧倒的で野獣のような戦闘を終えた。
翌朝、僕はママを早々に送り出して出発の準備に入った。
「この街にはこれ以上、求めるものは何もない」という判断からだった。
野獣のような戦闘は、戦っている時は無我夢中でも終わった後に物足りなさがどうしても残る。
このまま街にいてあのバービアのお姉ちゃんの話題の餌食になるのも忍びなかった。
「次の旅に出よう」
こう考えて僕はチャーン島を後にした。