タイ人ガールとの出会いを求めてキモオタ肥満男がタイ全土を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」
ソンクラー県編はいよいよマレーシア国境の街ダンノックへ。師匠の言う国境の情緒たっぷりのタイ最大の「桃源郷」
お姉ちゃんも民族豊かでタイプもさまざま。昼間っから遊べるというんだから女の子好きな僕にはたまらない。
ハンドルを握る手が早くも汗ばんで来たよ。
でも、その前にどうしてこんな最南端の辺境の地にそんな一大娯楽地があるのか。
まずはそのあたりの事情から紹介しなければならないね。島国の日本では想像もできないような長い歴史があったんだ。
ダンノックの歴史を紐解いてみよう
ソンクラー県サダオ郡ダンノック。
接し合うマレーシア領内マレー半島最北端のプルリス州とケダ州とを合わせた一帯は、12世紀ごろから19世紀ごろまでこの地にあったケダ王国のスルタン(イスラム教上の権威者)が統治をしていた。
それが勢力を拡大してきたイギリスと隣国タイとの間で20世紀初めに分割支配されることになり向き合う国境の街としての運命を負わされることになったんだ。
この時に合意されたのがタイからマレー半島を縦断する国際鉄道の建設だった。
1918年にはタイ側のハートヤイとマレーシア側のパダン・ブサールを結ぶ区間が開通。マレー半島縦貫鉄道が完成した。
ただこれにより国境線が確定することとなり南東に直線で約25キロ離れた陸路国境のダンノックはタイ領土となった。
マレーシアはその後ムスリムの国として独立。建前上、風俗は禁止されたが男たちは我慢できるはずがない。
そこでもともとが同じ国でモスクが残るこの地に一大置屋街が誕生。マレーの男たちが通うようになったんだ。
置屋街隣接ホテルでチェックイン!
さぁてそんなことを思い起こしているうちに見えてきたよダンノックの市街地が。
タイで最も長い国道4号線も間もなく終点だ。今日の宿泊場所はもう決めていた。
国境まで一直線で600メートルのところにあるオリバーホテル。どうしてここにしたかって?うん、実はね。
ここのホテルの回りには取り囲むように置屋があって「持ち帰るのに楽ですよぉーっ!」って師匠からお告げをもらっていたんだ。
車を駐車エリアに止め早速チェックインすると驚いたよ。
フロントの女性はみんなヒジャブ(ムスリムの女性が頭部を覆う布)でお洒落しているじゃないの。
スラリとしていてやや彫りの深い端正な顔立ちの子もいる。ダンノックはこんな女の子ばかりなのか?これは期待が持てるぞお!
さらに驚いたのは女の子たちはみなタイ語や英語はおろかマレー語にも通じているということだった。
さすがは国境沿いにある国際ホテル。チェックイン後に案内された部屋も清潔で広さも十分。落ち着いたシックな内装も気に入った。
これなら十分お姉ちゃんと遊べるぞ。
とはいえまだお日様の高い正午過ぎ。
ハートヤイから胸をときめかして直行したもんだから昼食もまだ。お腹がすいている。
そこで僕はひとまず国境の写真を撮りに向かった後、近くの料理店でビールでも片手に飯を食いながら女の子を物色しようかと思ったんだ。
喉が渇きビールを探すが見つからず
撮影を終えた後、僕は屋台や飲食店が建ち並ぶ一角を歩いていた。
漂ってくるのは香しい香辛料の匂い。インド発祥のタンドリーチキンとかいうやつかな。サフランライスのようなものがある。
マレーシア料理ってよく知らないけどバンコクなんかでは見慣れない料理ばかり。やっぱりここは国境の街だったんだ。
さらに進むと、おーっと、クイティアオ(タイの麺料理)の屋台もあったよ。そう思って近づいた僕はさらに2度びっくりした。見ると、屋台の看板にイスラムの戒律で許された食事であることを示す「ハラール」のマークが書いてある。ハラールのクイティアオ?どんなものか試しに店のおばちゃんに聞いた。「おばちゃん、クイティアオ・ムー、ミーマイ?」。「マイミー!」。あるわけないよね、豚入りのラーメン。「ごめんごめん、おばちゃん」。そういって僕は頭をかいた。
あまりにお腹が空いたんで近くの料理店を何軒かのぞいた。長時間ドライブだったし気温もあって蒸し暑い。当然にビールを喉が欲していた。
ところがどうだろう。どこも「アルコールは置いていないの」と言うではないか。
マレーシア料理とタイ料理をミックスしたような店も変わりはなかった。
僕は愕然とした。そんなっ!ビールが飲めないなんて。
中華料理店で出会ったイサーン娘
散々歩き回ってようやく見つけたのが中華料理店「東方燕窟」という中華系の飲食店だった。
フカヒレとか書いてあるから高いかなとも思ったけどもはや背に腹はかえられない。
ガラス戸を開けて丸テーブルに着くと近くにいたウェートレスの女の子に声をかけた。
「ビールある?」
「あります」
我慢に我慢を重ねたビールはさすがに美味かった。腹も満たそうと料理も何点か注文。その間に女の子に声を掛けてみた。
名前はガンちゃん。見た感じどおりの17歳。イサン地方チャイヤプーム県ノーンブアラウェー郡の出身だった。
15歳の時からこの店で働いていると話していた。
「高校は行かないの?」
「お金がないから」
と、そんな会話が後に続いた。聞くと実家では母と二人暮らし。ダンノックには1人で出稼ぎに来ているのだという。
ここから車で15分のところの叔母宅があり毎日そこからバイクで通勤。休みは月に2回。
ランチ前の午前11時から夜11時までの12時間働いて受け取る月給は1万5百バーツ。日本円で3万5千円ほどだという。
「疲れないの?」と聞いてみた。「疲れるわ」とガンちゃん。
「でもここに来る中華系のお客さんはチップをたくさんくれるの。少しぐらい疲れても我慢ね」
と笑顔で返してくれた。
中国人か…。さすがにそれ以上は何だか尋ねるのがはばかられた。
そうかガンちゃん高校進学も断念したんだ。
情にもろい僕はすっかりガンちゃんの話に感動していつもよりは多めのチップを渡して店を出ることにした。
カフェの遊びとはどういうもの?
中華料理店では長居をしたようだ。すでに陽は傾きつつあった。いつの間にか降った雨も上がっていた。
僕は気を取り直すと気合いを入れて夜の街に繰り出すことにした。
「ここは、ダンノック。さすらいの旅人が女の子と遊ぶ街」と師匠から聞いたお告げを思い出しながら。
まずは「カフェ」と名のつくゴーゴーバーのような店が立ち並ぶ一角から攻めることにした。
ここも事前に下調べしていてどうしても抑えておきたかった。何軒かもう明かりが灯っていて中からはけたたましく音楽が漏れていた。
僕は一番奥にあった「フォーチュン・カフェ」という店を選ぶとカーテンをまくった。
中は居抜きの工場っていう感じだった。丸テーブルを中心に20卓はあっただろうか。
チーママが何人もいてそれぞれに持ち場が決まっているようだ。
「こっちは、ステージが見えるわ」
「ウチのほうが女の子可愛いわ」
何だか分からぬまま僕はステージ正面のテーブルに座った。
ビールはハイネケンだけ。大瓶1本200バーツ。ほかに氷代が30バーツかかるがそれだけの明朗会計だった。
チーママや女の子が「お酒飲みたい」と言っても自分が飲んでいるビールをお裾分けするだけ。なくなればまた1本注文という仕組みだった。
ステージでは可愛らしい女の子が全裸で踊っている。右にはビキニ姿の女の子。同じ2人1組のペアが順番に踊りを繰り返しているらしかった。
ただここはあくまでカフェであった。
このためバンコクのゴーゴーにある「ペイバー」のようなシステムは存在しない。
チーママに連れ出し可能かを聞いても「まずは友達からでしょ」と素っ気ない。
女の子もほとんど近寄って来ない。なるほどここで女の子を連れ出し交戦するには相当難度の高い店と見た。
初心者はまず難しい。ことに言葉が話せなければ無理だと判断した。
好みの子を横に座らせ口説いてみる
見ていると踊っている女の子に花輪を贈っているマレー系の客がいる。踊り終わるとその子は客のテーブルへ。
そうかそういう仕組みだったのか。好みの女の子を自席に呼びつけたい場合200バーツの花輪を「購入」して女の子の首に掛けるのがルールと分かった。
そこで僕はさっそく正面で踊っていた全裸の女の子に花輪を贈りこちらに来るように促した。
女の子はノーンという名でハートヤイの出身だった。年齢は自称20歳だが見た感じ18歳ぐらいには見えた。
黒髪は腰まであるほどのスレンダーで珍しくどこにも入れ墨がなく肌の綺麗なのが印象的だった。
祖先に中華系の血が入っていることは明らかだった。そこで試しに誘ってみた。
「仕事が終わったら、飯食いに行かない?」
「終わるのは12時よ、それまで待てるの」
真意を測りかねた。だが正面からの拒絶でもない。まんざらでもないということか。
そこで僕は午前零時前に戻ってくると笑顔を向けていったんはその店を出ることにした。回りにあった同様のカフェも軒並み営業を開始していた。
「ウィンナー・カフェ」「スパイダー・カフェ」といった店もあり中を覗いてみたが
女の子の水準から言って「フォーチュン・カフェ」を凌ぐ店はなかった。
可愛いママさんがいるカラオケ置屋
次いで出かけたのはどこにでもありそうな田舎のカラオケ店街。選んだのは角にある「ナンバー・ワン」というカラフルな店だった。
店の外にはカウンターもありカラオケができる店内ではタイ語の曲から日本語の曲も。
サスペンダーをしたGパン姿のノリの良いボーイッシュなママさんが相手をしてくれた。
ママさんは盛んに女の子を紹介してくる。真っ先に紹介されたのがチェンマイが出身の色白のマイという名の子だった。
だが接客未経験なのかどこかぎこちないマイちゃん。作り笑顔もイマイチで僕のハートを射貫くほどではなかった。
女の子は全部で5~6人といったところ。
北部ラオスの子やメーサイ(チェンライ北部)タイ・ヤイと呼ばれるミャンマー・シャン州を出身とする子もいた。
タイ北部からシャン州にかけては色の白い子が多い。
ママさんによればマレー人客を中心に色白の子を好む傾向があ、呼び寄せているのだということだった。
そんなことを話しているうちに何だかこのママさんも良くなって来た。38歳の子持ち。だが肌の艶は良くみずみずしかった。
このまま放っておくには惜しかった。そこでママさんに声を掛けてみた。
「一晩どう?」
ところが、子どもがいるママさんはそれができない。逆に「1時間ならいいわよ」と持ちかけられた。
置屋街でスーパーコンチアと出会う
置屋視察を最大のミッションとした今回のダンノックの旅。
ボーイッシュなカラオケ店のママさんと1時間だけの対戦も良かったがきっちりと師匠のお告げも実践に移さなくてはならなかった。
後ろ髪を引かれるように僕は店を出るといよいよ宿泊先のホテル周囲に点在する置屋街へと足を運ぶことにしたんだ。
見るからにその光景は美しかった。ピンクを基調とした何とも言えぬほどの面妖とした色使い。
いかにもここが置屋街ですといった感じの佇まいだった。その中で僕が選んだのが「フォー・ユー・カラオケ」という怪しげな店だった。
店頭にはAHさんという男性コンチア(案内人)がいてタイ語で声を掛けてきた。
店内に案内されるとAHさんは今度は流暢な日本語で「日本人のお客さんですか」と聞いてきた。寸分の狂いもない完璧なイントネーション。
さすがにたまげた。聞くと日本で9年間も働いたことがあったのだとか。そこへ中国人の団体客が店に入ってきた。
するとAHさん。今度は鮮やかな中国語を使うではないか。タイ語、マレー語、英語、日本語、中国語の5カ国語を自在に操る。
なぜ置屋のコンチアをしているか。この日の最大の謎だった。
置屋の営業時間は午後6時ごろから午前1時ごろまでが相場。
ショートで2000バーツというのもあるがマレー人を中心に夕方までに予約をして女の子を翌日まで拘束するというのが大半のスタイルのようだ。
その場合の料金は4000バーツ台が平均的な水準。それ以上もそれ以下もある。
フォー・ユー・カラオケではちょうどこの日、普段ならコヨーテの女の子も一人いた。
美人でスタイル抜群。何かの都合で出勤していたがショート4000バーツとべらぼうに高額だった。
チョイスしたラオス娘は中々の美形
結局その日、僕は別の「KKカラオケ」という店で女の子を選んだ。
ヴィエンチャン出身のラオス娘ゴイちゃん20歳。
なかなかのグラマーで見た目も良かったがいかんせん素人で楽しめるまでではなかった。
お客さんで多いのは中国人。ノービザ滞在のため毎月ヴィエンチャンとハートヤイを往復しているのだという。
翌朝、僕はダンノックを不本意ながら後にした。全く満足できていなかった。ハートヤイで2泊したのが大きかった。
師匠が言っていたっけ。「ダンノックはいいですよ。私は2週間も連泊しました!」
って。すっかりそれを忘れ1晩だけで全てを済まそうとしていた。
完全なミスだった。また来るしかない。そう誓わずにはいられなかった。