タイ美女との素敵な出会いを求めてキモオタ肥満男がタイ各地を駆け回る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は早くも三カ所目に。
今回の目指す先はマレーシアと隣接する南部ソンクラー県。バービア、置屋、MP…。
いったいどんな出会いがあるのか。
某月某日、僕はいつものようにドンムアン空港から空路、南部最大の都市ハートヤイ(ハジャイ)行きの飛行機に飛び乗った。
「南部もいいですよぉ。異国情緒たっぷりで。あまりにも楽しかったんで、私は2週間近くも滞在しましたよぉ」
こうアドバイスをくれたのはタイはおろか東南アジア諸国の「桃源郷(ユートピア)」を知り尽くした僕の憧れの師匠だ。
前々回のチェンライ、前回のルーイ、コンケーンとすっかり満喫したところへ早くも次の誘惑メッセージが届いた。それがソンクラー県だった。
県庁が置かれた沿岸の都市ムアン・ソンクラーなどにも若干の見所はあるものの
何といってもお姉ちゃんとの出会いといえば南部最大の商業都市ハジャイとマレーシア国境の街サダオ郡ダンノック。
ここを置いて他にはありませんよぉー、というのが師匠の教えだった。ならば行かねばなるまい。僕は宿命と心得た。
ソンクラー県の県庁所在地を目指す!
ハジャイ空港ではいつものようにレンタカーを調達した。
今回はちょっとグレードの落ちたトヨタ・ヤリス。少しばかり狭いとは感じたものの黒塗りのスポーツタイプでひょっとしたらこれでナンパできる?
そんな期待も膨らんだ。早速、車に乗り込むとまずは海辺の街ムアン・ソンクラーを目指すことにしたんだ。
一面のオーシャンブルー。人魚伝説の地ムアン・ソンクラーは快晴だった。
タイ旧正月(ソンクラン)の気候が残っていたのか気温もぐんぐん上昇していた。あまりの暑さに泣き言が口を突いて出てくるようになった。
「もう、たまらない」
そう言って滑り込んだのが現地のタイ飯屋。笑顔の可愛い18歳のクワンちゃんが給仕をしてくれた。彼氏ありは残念だったけど…。
続いて訪ねたのが港町ソンクラーの古い街並みだ。ここは7世紀にマラッカ海峡を支配した海洋交易国家シュリーヴィジャヤ王国の勢力北限。
マレー半島の地峡に当たることから古くから貿易で賑わった街として知られている。
今ではお隣のハジャイにすっかりと遅れを取ってしまったけど街のところどころで面影をみることができる。
観光向けに現代アートを取り入れた再開発も行われていた。
タイ最大のソンクラー湖を見学!
タイ最大のソンクラー湖や巨大な噴水の像「パヤ・ナーク」をゆっくりと見物するうちに陽が傾き始めているのに気がついた。
慌てて今日の宿泊予定地ハジャイへ。危ない危ない危ない。貴重な初日をおじゃんにしそうだった。
走ること一時間。ようやく街並みが見えてきた。あらかじめ見当を付けていた商業エリアに入ると僕は早々に宿を決めた。
1泊1050バーツと奮発した。
チェックイン手続きをしていると色黒のボーイが声を掛けてきた。どこかで見たようなゴリラ顔の芸人に似ている。
彼は親指を立てるといきなり馴れ馴れしく「レディーOK?」と話しかけてきた。
回りには他の客もいて会話は筒抜け。
でもさすがに好奇心もあったので「いくらだ?」と耳打ちすると朝まで3000バーツという声が返ってきた。
「高いなあ」取りあえずレディーは後回しで腹ごしらえに出かけることにした。
女漁りの前に日本食で景気付けだ!
ソンクラー県に1軒しかないという日本食屋が目当てだった。
「まりちゃん」という名の店であることは調べて分かっていた。タクシーで南に7、8分ぐらい。
割と通行量のある交差点の角にその店はあった。早速まりちゃんを探す。
いた、いた。たぶんあのタイ人女性だ。席に着いて話しかけてみると流ちょうな日本語が返ってきた。「お客さん、どこから来たの」
夫の日本人Yさんとは結婚20年。店は15年前にオープンしたそうだ。客の9割以上はタイ人客。サーモンが一番よく売れていると話していた。
仲の良いおしどり夫婦と映ったが「実は私まだ日本に行ったことないの」とママさん。
当のYさんはその日は不在で「明日、マスターに会いに来るよ」と声をかけたものの返事は「ごめんなさい。明日は定休日なの」だった。
そこで記念撮影でもしようと、まりちゃんの似顔絵が書かれた看板の前にママさんを呼んだところ
今度は「ごめんなさいね。娘は今、宿題中なの」との返事。驚いた。まりちゃんって高校3年生になる娘だったんだ。
12歳になる次女のマライちゃんもいると後で分かった。Yさん店名に娘の名前を付けるなんて。なんてオツなんだと感動して店を後にした。
結局その日は疲れと酔いもあってそのままホテルへ直帰。
フロントで例のボーイと鉢合わせになると今度はLINEで女の子の写真を見せてくれた。確かに可愛い。そのまま連れ帰りたくもなる。
そこで改めて聞くと「3500バーツ」。おいおい何で値上がりするんだよ。面倒くさくなって明日にすることにした。
置屋ホテル初潜入 どんな女がいる?
2日目。さあ今日は昼から置屋回りだ。
よく休んだので足取りも軽くまずは目指したのは建物全体が置屋ホテルになっているという2物件だった。
まず立ち寄ったのは市中心部にある「キム・フア・ホテル」。
間口が狭くよく注意しないと見落としてしまいそうな古い建物だ。1階奥左側に従業員が手持ち無沙汰に座っていて階上に行けと促す。
2階に上がると通路の両側に計8室ほどのプレイルームが。ドアが開け放たれて中をのぞき気に入ればそのまま500バーツを払って入室KO即プレイ。
閉まっていれば交戦中か女の子が休んでいるという合図だった。
1部屋、1部屋と何軒かをのぞいていく。お姉さんは寝転んでいたり化粧中だったり掃除中だったりとさまざま。
顔を向ける度に視線を返してくれニコッと応えてはくれる。だがどうだろう。
間もなく40歳代に届こうかというお姉さんたちに艶やかさは少なく、脂も抜けて遊んでいくにはちょっと難しい。
3階も同様だった。そこで僕はもう1軒あるという置屋ホテルを目指すことにした。
捌け口を求め次の置屋ホテルへ潜入
そこは建物全体がオレンジ色で彩られた「マンダリン・ホテル」といった。
さっきのホテルから歩いて10分もかからない場所にある。
2階から4階にかけて各階に部屋が10ほどあり同じように女の子たちが居住しながら「自室」で客を待つスタイルだった。
料金は400バーツが基本で30歳代前半か容姿に自信のあるお姉さんは高めの500バーツ。
色白の子が多く何人かに聞くと大概がチェンマイやチェンライだった。
3階の通路に差し掛かったところで女の子たちが輪になって何やらゲームに興じているのを見つけた。
どういうわけかバイタク(モーターサイ)の運ちゃんの男も一人混じっている。見ると何らかの賭け事のようだ。
親役の一人が声を出してカードをめくっていく。それに伴って20バーツ紙幣が移動していくという仕組みだった。
10分ほど見学していたところでゲームをしていたうちの1人トンちゃんに声をかけ指名した。
「えっ私?」と少し意外に思ったようで自分のゲーム札を慌てて片付けるとすぐ近くの部屋に案内してくれた。
キティちゃんで統一されたピンク色の部屋。そこで僕はチェンマイ出身、30歳のトンちゃんと一戦交えることにした。
シャワーを一緒に浴び立ったままサービスは始まった。何てことはないお仕事系。
ほどなくトンちゃんが上になりその後入れ替わってフィニッシュ。正味20分といったところか。
500バーツならこんなもんかというのが正直な感想だった。
置屋3か所を一気に巡ってみるも・・・
夕方から夜になって以降はいくつかある置屋街を回ることにした。
いずれも1~2階の低層の置屋住宅が建ち並ぶ一角だ。まず最初に立ち寄ったのは通称「ソイ2」
正式名称を「ニパットウティット・ソイ2」というコの字型をしたソイにある置屋街だった。
タイ国鉄のハジャイ駅からもほど近く繁華街からも歩いて行ける。
ソイの中には8軒の置屋がひしめき合っていた。鮮やかな衣装に身をまとった女の子たちは店先に置かれた椅子に座って客を待つ。
どこか飛田新地に似た光景にも見て取れた。気に入った子がいれば店のママさんと交渉。自分のホテルに連れ帰るというシステムだ。
建物内に客を案内するスペースはない。ショートで1000バーツ翌朝まで2500バーツというのが一律の値段だった。
ソイ2で驚いたのは女の子の質の高さだ。20歳前半からせいぜいが30歳代前半。中にはバンコクの高級MPにも負けない上玉もいた。
すっかり気持ちが高揚した僕はそのうちの1人、黒の衣装を着用した好みの子の横に座り「LINEのID交換して」と頼み込んだほどだ。
「あなたが、お客として就いてくれたらね」
ここはかなりオススメだ。
次に立ち寄ったのは通称「ダイイチホテル裏」(チャイヤクンユーティット・ソイ2)の一角。
ここには4軒の置屋が現存する。各店のママさんたちによると24時間の連れ出しが可能。同様に自分のホテルなどに持ち帰るスタイルだ。
置屋のすぐ前にあるダイイチホテルに連れ込んでも良さそうだった。
だがどうだろう。
料金はショートで1200バーツ(若い子は1500バーツ、朝までで2500バーツ(同3000バーツ)とそれなりの値段はするもののソイ2とは女の子のレベルにおいて格段の差が。
せっかくの師匠のお告げ。何とかして貴重な体験をとも思ったけど最後まで躊躇を禁じ得なかった。丁重にお断りして店を後にした。
もう一つの「ジャニーウェー」と呼ばれる置屋街も同様だった。
毎朝9時から営業しているというこの街では4軒の置屋が確認できた。在籍女性は予想以上に多く1店10人前後。
料金はショート1500バーツ、翌朝まで2000~2500バーツだった。
しかしここでも選ぶことはできなかった。一見して20歳代末と見える女の子もわずかにはいたがほとんどは30歳代後半か。
中には、さらにその上を行くと思われる熟女の姿もあった。ここで一戦交えるならソイ2へ戻りたい。本気でそう思ったほどだった。
南部の風俗は種類も多肢に渡る!
こうしてハジャイでの僕の日程は全て終了した。当地にはバービアは一切存在せず女の子と遊ぶには
①古典的な置屋
②マッサージパーラー
③ホテルのボーイの紹介
という主に3通りの方法があることが分かった。
このうち置屋は料金を考慮に入れてもソイ2が圧倒的に抜きん出ていた。
MPも予想以上に上玉がそろっていて常識的な価格で楽しめることが確認できた。
ホテルのボーイの斡旋も写真を見る限りは問題はなさそうだった。後で分かったことだが写真を使った斡旋はバイタクの運ちゃんも行っていた。
この街はボーイや運ちゃんがコンチア(案内人)に早変わりする街だったのだ。
僕はそんな南国での不思議な体験の余韻にひたりながら翌日から向かうマレーシア国境ダンノックのことを考えていた。
もう頭の中は全開のフルスロットル状態だった。