【モテるトリビア】男の夢「ハーレム」の語源とは!

突然ですが、みなさん「オスマン帝国」はご存じですか?

オスマン帝国とは
14~20世紀初頭まで存在した、現在のトルコ共和国アナトリア地方に建国されたイスラム教の大帝国。

1299年~1922年まで存在して国なのです。
ほんの100年前まであったなんて何か凄いですよね。
ちなみに1922年は大正11年ということで、イギリスの保護国であったエジプトが
独立してエジプト王国になったのも1922年です。

オスマン帝国といえば「ハレム」

日本では1603年~1867年まで江戸幕府(徳川幕府)がありました。
その時、江戸城にあったのが大奥です。

大奥とは
江戸城に存在した将軍家の御台所・子女・側室・奥女中(御殿女中)が男性では将軍を主体とした
「将軍家の血筋を守り繋げるため」原則男子禁制であり将軍の家族いわゆる夫人やその世子及び子女と生活の
お手伝いをする奥女中の住まう奥向きの御殿や居所。

簡単に言うとコレのオスマン帝国バージョンが「ハレム」なのです。
皇帝の血を途絶えさせないために、世継ぎを作る為に多くの美女がいる施設とでも言いましょうか。
奴隷商が買ってきた若い女性や、借金の代わりなど曰く付きの女性が多いようですが
ルックス、スタイルなどは抜群だったとか。そしてハレムに入るとマナーや所作、勉強など
内面に関する事も教えられていたそうです(‘ω’)ノ
そしてこの「ハレム」という言葉が転じて、男性が女性を侍らせている様子を「ハーレム」と
いうようになりました。ハーレムの語源はオスマン帝国のハレムなのです(‘ω’)ノ

歴代の皇帝が良い感じ

初代皇帝であるオスマン1世から始まり、36代皇帝のメフメト6世まで、計36人の皇帝たちがいました。
徳川幕府は15代までですから、めちゃくちゃ多いですな!!
この時代の皇帝なんてそりゃみんな威張り散らして凄い訳です。
中には謙虚な皇帝もいたようですが、ほとんどがヤバイ奴だったそうです。
その中でも個人的に好きな皇帝を何人か紹介したいと思います。

11代皇帝●セリム2世(1524年 – 1574年)
まずはセリム2世のご紹介!
コイツは若い時に皇帝に即位して、ずっと酒飲んでたり女性抱いてたり
男の欲望を体現したまさにTHE皇帝です。
そして50歳のある時、いつものように酒を飲んでダラダラとしていたら
ある遊びを思いつきました(‘ω’)ノ
「おい!女たちをハレムの浴場に集めろ!」と命令します。
なんと50歳という老体ながら乱交パーティーをする事を思いついたのです。
セリム2世が即位していたのは1524年 – 1574年なので450年前から乱交パーティーはあったんですね。
多くの女性たいが浴場に集められ、体を洗われ、裸に近い恰好で待たされているとセリム2世がやってきます。
「今から俺が追いかけるから、捕まえた女とヤル」と宣言し、乱交鬼ごっこがスタートしました。
女性たちは20代くらい、セリム2世は50歳。
50歳のオッサンが若い女の子を走って捕まえられる訳もなく、鬼ごっこは続きます。
その後、浴場の水で滑って頭を打ったセリム2世は亡くなります。
なんとすばらしい最期でしょうか。女性とイチャイチャしながら死ねるとはある意味幸せなのでは。

12代皇帝●ムラト3世(1546年 – 1595年)
先ほどのセリム2世の息子であるムラト3世。
お父様が性欲モンスターだったためか、息子のムラト3世は芸術系の才能をもった皇帝。
ちょっとオタク気質というか、性に対してそんなに興味がありませんでした。
純粋に一人の女性だけを愛します。ハレムの女性たちには申し訳ないが、興味はありません。
と父親とは正反対のある意味コイツもモンスター(‘ω’)ノ
そして宣言通り、愛する女性と結婚しました。妻だけを愛していたのですが
なかなか子供に恵まれないのを不審に思ったムラト3世の母親が調べたところ
ムラト3世はEDだったことが判明しました。
当時の考えうる全ての治療法を試したムラト3世は見事EDを克服し
父親のように性欲モンスターと化しました。その結果、ムラト3世は子供を103人作ります。