ラチャブリー・サムットソンクラーム・サムットサーコーン県 (中):早撃二郎のタイ77県珍紀行

笑顔の素敵なタイの女の子との出会いを求めて
キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は
前回から中部ラチャブリー、サムットソンクラーム、サムットサーコーン県編の新シリーズ。

ラチャブリーで伝統芸能を堪能した僕は、サムットソンクラームの鉄道駅メークローン名物の「傘市場(タラート・ロム)」で
中国人観光客とバトりながらも写真撮影を敢行した後、再びラチャブリー市内に引き返し、夜の街へと繰り出した。
時刻は午後9時を少し回ったころ。メーン通りから入った路地の最奥部にある、妖しげに照らし出された雑居ビルが目的地だった。

2階にはタイ古式マッサージ店「スター・ブーム」
※「スター・ブーム」外観

受付の女と「スペシャル」の有無をめぐって問答しているところへ声を掛けてきたのが
50歳代には手が届いていそうな「山内エミ」さんだった。

 「お客さん、日本人?お一人?」

※日本語がとても流暢な山内エミさん

かなりの流暢な日本語だ。発音も申し分ない。
どうして?しかもこんな辺鄙なところで?あまりの衝撃に、すっかり酔った僕の頭は回らない。
返答できるまでまだ時間がかかると判断したのだろう。
エミさんはとにかく座ってよと着席を促すと、自身は青テーブルを挟んだ向かいのピンクのソファに腰を下ろし
営業用のスマイルを投げかけてきた。

「お姉さん、日本語、お上手ですね」

ようやく口を付いて出た挨拶に彼女が応える。

「日本人と結婚していたからね」

なるほど、そういうことか。聞けば、十数年前に日本人男性と結婚。しばらく日本で暮らしたことがあったのだとか。
その間、子供にも恵まれ、移り住んだ北陸の金沢などで育児を続けてきたが、8年前に夫の浮気が表面化。
悩んだ末に離婚を決断。5年前に一人娘とともにタイに戻ってきたのだという。

帰国後はバンコクや東部チョンブリーで日本人観光客相手にガイドの仕事などに就いていたが、波があって安定した収入とはならない。
この間、娘は成長して大学生に。学費を稼ぐためにマッサージの仕事を始めたのだという。ラチャブリーに一人で流れ着いたのは2年ほど前。
今ではここで働いて金を貯め、チェンマイ大学に通う22歳の娘に毎月送金しているのだと話していた。

身の上話を聞くうちに何だか湿っぽくなってきた僕は、ビールと簡単なつまみを注文して、エミさんと乾杯した。
子を思う親の気持ちはどこでも一緒だなあ。心から頑張って欲しいと思った。それからしばらく、互いの昔話で盛り上がった。

テーブルのビール瓶が4本目にさしかかるころ、エミさんが思い出したように話を振ってきた。

「スペシャルしたいの?あるわよ」

「えっ!本当?」

この店は、表向きはれっきとした古式マッサージ店。スペシャルは裏の顔で、馴染みの客か紹介客にしか教えていないのだという。
料金は、正規のマッサージが90分で300バーツ(チップ別)。スペシャルは同じ時間で1500バーツ(同)なのだという。

そうだろうとは思っていた。マッサージ店にしては、弩派手な明るい赤のワンピース姿。
一瞥しただけで、明らかに不自然だった。
ただ、マッサージ嬢としてソファに腰掛けているのは、どんなに贔屓目に見ても、いずれも30歳代後半以上は行っているだろうというおばちゃんばかり。
1500が妥当かどうかは議論の余地があると思った。

エミさんはその中でも、一際輝いているように見えた。
50歳でも行けるのではないかとさえ本気で思った。少しだけ心が通じ合ったのかもしれない。
だが結局、断念をした。5本目に差し掛かったビールを主因とした酔いが、僕の気持ちを萎えさせていた。
そのまま会計をして、店を後にした。
また来るよ、とだけ言い残して。

2か所の鍾乳洞を探索に行ってみる

翌朝、僕が向かったのは、この地方に点在する二つの鍾乳洞だった。
インドシナ半島のうちタイ中部のミャンマーとの国境沿い付近には標高数百メートルの岩盤が連なっており、その組成のほとんどは石灰岩だ。
古代、海だった場所に珊瑚や水中生物の死骸が堆積し、隆起したものと見られている。
主成分である炭酸カルシウムは雨水に溶けやすく、鍾乳洞やカルスト台地といった独特な地形を形成する。
この地方にもこうした構造物が点在しており、観光資源として活用されている。

このうち、僕がまず目指したのはラチャブリー中心部から20キロほど西に向かった「カオ・ビン鍾乳洞」だった。
※「カオ・ビン鍾乳洞」入口

公園としてきちんと整備されており、駐車場なども完備。
付近一帯にある鍾乳洞の中でも最もポピュラーな存在で、タイ人観光客が多いことで知られている。
入場は大人一人20バーツ、子供10バーツ。訪ねた日は月曜日だったこともあって、園内、洞窟内ともに人影はまばらだった。

ぽっかりと空いた地表の穴から、備え付けの木製の階段を深く深く降りてゆく。
湿り気のある足下は滑りやすくなっており、十分な注意が必要だ。
やがて、巨大なホールのような空間が眼前に広がると、ここが鍾乳洞の入口であることに気付く。
小さな灯りが洞壁の所々にあるものの不十分で、目が慣れるまでは手探りの状態で進まなければならない。

うっすらと浮かんできた洞窟内の様子。ここそこの天井から溶け出した鍾乳石がオーロラのように降ってきて、さまざまなアートを形作っている。
すぐ脇には、海中のイソギンチャクや珊瑚礁を思わせる形状の鍾乳石が花を咲かせている。
ここは地底の美術館。赤黄青のほのかな光に照らされて神秘的な世界を演出していた。

※鍾乳石の形状は様々だ
※様々なライティングが施されている

※シャンデリアのように垂れ下がった鍾乳石

見えてきた歩道をなぞるように、ゆっくりと奥に向かって進んで行く。
湿度は極めて高く、わずかに感じる風すらもない。早くも首筋に汗が滲んできた。
まるでミストサウナの中にでもいるような感覚だ。人影のない孤独と吹き出してくる汗。
それがより一層、不安と緊張を増幅してくれた。洞窟内に滞在したのはせいぜい10分間。
僕は逃げるように外に這い上がると、売店で10バーツの冷水を買い求め飲み干した。

もう一カ所の鍾乳洞は、カオ・ビン鍾乳洞から10キロほど西に行ったところにあった。「ションポン鍾乳洞」と言った。
丸ごと岩山の内部が空洞になっているらしく、中に通じる入口は山の中腹にあった。
手すりのついた階段を登ってそこに向かうが、山全体を取り囲むほどの野生の猿がこちらを見ているのに気づき驚いた。
至る所に猿が寝そべっては、来場者を監視しているのだった。中にはちょっかいを掛けてこようかという強者もあった。

こちらの洞窟も同様に進入口は狭かった。朽ちかける直前の木製の階段が階下の暗闇に向けて深く伸びていく。
足下に集中していて気づくのが遅れたが、上壁には無数のコウモリが棲みついているようだった。
こだまする鳴き声も不気味だったが、もっとひどかったのは足下の糞。堆積した野生コウモリの糞の悪臭が洞窟内に充満していた。

それでも、何とか洞内の中心部にたどり着くと、広々とした空間に大きな涅槃仏が横たわっているのが見えた。
どのようにして建立したのだろう。近くには立派な祭壇も備え付けられていた。
※コウモリの糞の臭いと奮闘しつつ奥に見えた光

また、頭上20~30メートルのあたりには、直径5メートルもありそうな陥没孔があり、そこから青空が見えた。
流れ込むままの雨水はどこに行くのだろう。それだけ複雑な地形であると理解した。
※鍾乳洞の奥は行き止まりになっており仏座、涅槃像などが配置されていた

※仏座の前では猫がじゃれ合っていた。なぜこんな所に猫?

※最奥部に鎮座していた神々しい雰囲気の涅槃像

有名なコウモリ寺 群れの飛翔を目撃

二カ所の鍾乳洞を巡った僕は、この日の最後の社会見学として、通称名を「ワット・カンカオ」
すなわち「コウモリ寺」と呼ばれる珍寺「ワット・カオ・チョン・プラン」に向かうことにした。
タイ人観光客の間では、動画サイトによく投稿がされる風変わりな人気寺。何が面白いのか、どうしても見てみたかった。
※「ワット・カオ・チョン・プラン」外観

到着したのは夕方5時過ぎだった。
寺の住職に見学に来た旨伝えると、「今は日が長くなったから、6時を過ぎないと見られないよ」とのことだった。
そこで、かれこれ1時間、境内を見学するなどして暇を潰すことにした。

午後6時を回ると、一目見ようと観光客や地元の人々が集まってきた。
動画サイトで概略は理解していたが、どの辺りから飛んでくるのかは分からなかった。
待つこと10分余。「来たわ!」と一人のタイ人女性が歓声を上げた。
指さす方向の空を見ると、確かに見えた。一羽、二羽。いやいや、百羽、千羽、一万羽…。
羽を広げると全長30~40センチはあろうかというコウモリの大群が餌を求めて、一斉に巣穴から大空に向けて飛び立って行った。

※僧侶の仏座の脇にもコウモリのモニュメント
※境内のいたるところにコウモリの装飾がほどこされている

コウモリの飛行ショーは、1時間半から2時間は優に続いた。
ひっきりなしに絶え間なく、蟻の軍勢のように空を埋め尽くしていたのだから相当の数だったに違いない。
寺の住職に聞くと、コウモリは寺の裏山にある洞窟に生息し、その数は五千万羽とも1億羽とも。
夜行性のため、毎日夕方になると、こうして餌を求めて集団で飛行するのだという。

※凄い数のコウモリたち。飛行中にぶつからないのが不思議だ
※寺の浦山から飛び立つ多数のコウモリ

※コウモリの群れはうねりながら空の彼方に消えていった

話をしている住職の横で、黒い内容物の小瓶が土産物として販売されているのに気づいた。
これは何かと尋ねると、「コウモリの糞だ」との答え。
コウモリの糞は肥料としての栄養価が高く、これを畑に蒔くと、糖度の増した大きな果実や野菜が収穫できるのだという。
どのようにして小瓶に詰めているのかと重ねて聞くと、「許可を取って裏山に小屋を建て、住んでいる男がいる」との説明。
会ってみたい気持ちもあったが、「一般人は入山禁止だ」とたしなめられた。

・・・つづく。

タイ湾に注ぐターチン川、メークロン川などの川沿いに発達したのが水上マーケット。川の氾濫が肥沃な大地を育んできたタイでは、古来から交通路として、商用の場として広く運河が活用されてきた。船の上で寝起きをし、食事を作り、仕事をし、川で遊ぶ。ごくありふれた人々の暮らしがそこにあった。
鉄道や道路網の発達から運河の利用頻度が少なくなっても、この地方の運河は「古き良き時代のタイ」を象徴するものとして、消え去ることはなかった。
観光資源としての利用価値が認められ、沿岸では土産物屋やレストランなどの整備が進められた。
こうして今なお多くの観光客を引きつける一つにサムットソンクラーム県の「アンパワー水上マーケット」がある。
毎週金土日の3日間、しかも午後3時から9時までだけの限定営業。それがまた魅力となって多くの外国人観光客が足を運んでいる。
訪ねた日曜日も身動きが取れないほどの人々で市場はごった返していた。
ただ、本格的な雨季がまだ到来していなかった時期だったこともあって、運河の水量はピーク時よりもかなり少なめ。
このため、運航する船も少なく、水上での行商もあまり見ることができなかった。
それでも、日没後にメークロン川で見られる蛍の観賞は人の切れ目がなく、幻想的な自然の芸術を楽しんでいた。

もう一つ紹介したいのが、ラチャブリー県東部にある「ラオタクラック水上マーケット」だ。
開場はラーマ4世治世下の19世紀後半。140年以上の歴史を持つタイで最古の施設だ。
区画は碁盤の目のように美しく整備され、沿岸には多くの商店や食堂が軒を連ねる。
訪ねたその日は曇天にもかかわらず、多くの観光客が船旅を楽しんでいた。
ラオタクラック水上マーケットが一日で一番賑わうのは午前7時から9時の間。
水面は多くの荷や客を乗せたボートで賑わう。エンジン付きの船もあるが、手漕ぎの伝統的な船で旅情を楽しむことも可能だ。
是非一度、足を運んで欲しい穴場だ。