笑顔の素敵なタイの女の子との出会いを求めて、キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は、今回から新シリーズ。
東北部イサーン地方のシーサケート県とウボンラチャタニー県を訪ねようと、向かったのは旧正月(ソンクラン)も終わった乾季終盤の4月下旬。
バンコク・ドンムアン空港から一路ウボンラチャタニー空港を目指した僕は、空港レンタカーを利用してまずはカンボジア国境に近いシーサケート県南部へと足を運んだ。
さぁて、どんな出会いが待っているのか。
カオ・プラ・ウィハーン国立公園へ
南イサーンの主要拠点ウボンラチャタニー。
市街地のど真ん中にある空港から南南西に約110キロ走ると、カンボジアと国境を接するシーサケート県南部のカンタララック郡に着く。
コラート大地から伸びるドンラック(ダンレク)山地の山なみが国境線を形成。
そこから先の南側急斜面は標高差500メートルの断崖絶壁となってカンボジア平原へと続いている。
この難攻不落の自然環境がここに天然の要塞を築き、永らくタイとカンボジアの対立の前線となっていた。
付近一帯は「カオプラウィハーン国立公園」に指定されており
総面積は約130㎢。水源を持つなど豊かな森と多様な生き物が棲息していることで知られ、域内の人の出入りや居住は原則として禁じられている。
そんな立ち入り禁止のエリアに人々が関心を寄せるようになったのは、ここにクメール寺院などの古代遺跡が多数存在するからだ。
公園名の一部「ウィハーン」がサンスクリット語で「寺」を意味することからも、タイの人々が特別な地だと考えていることが理解できる。
遺跡のうち、最も名の知れたものがタイとカンボジア間で国境紛争にまで発展したクメール遺跡の「プレアヴィヒア寺院」だ。
タイ側では「プラーサート・プラウィハーン」と呼ぶが、世界文化遺産に申請・登録されて以降、国際的にはプレアヴィヒアの名で通っている。
※左側はタイ領、右側がカンボジア領となっている。広大な景色が望め解放感も抜群。
ちなみに、「プラサート」は「城砦」のことで、「プラウィハーン」は「至高の寺」の意となる。
かつてこの地を支配した人々が9世紀以降、段階的に標高約650メートルもの高地に建造した目的と意図が何となくも分かろうというものだ。
ここで両国間の国境紛争の歴史を少しおさらいしておこう。
タイがクメール朝を攻撃し、ドンラック山地一帯を支配下に置いたのはアユタヤ朝時代の15世紀の半ば。
その後、再び帰属問題が浮上したきっかけが、カンボジアを植民地支配したフランスとの間で締結した1904年の「シャム仏条約」だった。
ところが、同条約では寺院と周辺の土地については国境線の線引きが曖昧で
その後フランスがナチスドイツに降伏した後は、同地を含むカンボジア北部が再びタイ領に。
戦後、カンボジア領に引き渡された後も帰属の曖昧さは変わらず、タイの実効支配が続いていた。
事態が動いたのは、カンボジアがフランスから正式独立した53年あたりから。
両国は国境付近で武力衝突するようになり、国交断絶の事態に。こうした中、カンボジアが自らへの帰属を求めて行った手続きが国際司法裁判所への提訴だった。
同裁判所は62年、寺院についてカンボジアの訴えを認める判決を下し、決着が付いたかに見えた。
ところが、周辺の付属地4.6㎢については判断がなされないまま、火種だけが残る結果となった。
その後、カンボジアは内戦に突入。国境問題はしばらく塩漬け状態となったが、新生カンボジアが誕生すると同国は寺院を世界遺産に登録申請。
これが認められると、タイ国内で再び領土問題が浮上することになった。対立はやがて武力衝突に発展し、数百人が死亡するまでに。
こうした中、タイのインラック首相が電撃訪問して解決の糸口を模索するようになった。
国際司法裁判所も2013年、棚ざらしにされていた付属地の帰属もカンボジア領とする判決を出した。
このようにして最終的な結論の出た国境地帯の紛争だが、実はタイ国内では今なお納得しないとの考えが根強い。
偏狭な「愛国心」をくすぐろうとする政治家も後を絶たない。国境周辺にはタイ陸軍と国境警察が駐屯して24時間の監視態勢を敷いている。
国境はカンボジア政府によって封鎖されたままで、従前は可能だったタイ側からのプレアヴィヒア寺院への参拝も不可能な状態が続いている。
僕が現地を訪ねたのは、まさにそんな緊張感の残るタイミングだった。
レンタカーは快調に山道を登っていた。手元のグーグルマップによれば、終着までもう間もなく。
やがて正面に行き止まりの標識が見えると、左手に広がっていた駐車場に車を止め、まずは展示資料館のような木造の建物に足を運んだ。
※カオ・プラ・ウィハーン国立公園の展示資料館
「サワディーカー」
「サワディーカップ」
資料館の中から黄色のシャツを着た学生風の男女数人が元気に声を掛けてきた。
初めは何だかよく分からなかったが、近くに一人身なりの異なる引率の先生らしき人がいたことから、どうやら高校生の課外学習らしきことが分かった。
シャツの黄色は国王のカラーから採ったもので、言うなれば体操着。
資料館で一通りの説明を聞くと、今度は屋外の史跡巡りに案内された。
※ガイドをしてくれた高校生と引率の先生。
付き添ってくれたのは、女の子が二人と男の子が一人。みな17歳と話していた。
近くの高校に通うう生徒さんで、校内での授業のないこの時期にこうして課外学習を行っているのだという。
覚えたての知識で、プレアヴィヒア寺院の成り立ちや国立公園の説明をしてくれた。
日本からの参拝客は珍しいようで
「どこの出身ですか」
「仕事は何ですか」
「結婚していますか」
などと盛んに質問を投げかけてくる。
素朴な笑顔が印象的だった。
※あまり外国人が訪ねて来ない場所なのだろう。僕に興味津々だった。
この辺りは標高が高いことから、条件が揃えば朝晩は綺麗な雲海が見えるとも教えてくれた。
ところが、僕が行った真夏の季節はガスがかかること多く、この日も薄曇りのあいにくの空模様。
それでも、設置された双眼鏡で寺院が見える展望台に案内してくれるなど、十分に堪能することができた。
ただ、一つだけ緊張した場面もあった。
僕が駐屯する陸軍宿舎と兵士に向けてカメラを向けた時のことだ
「マイダイ!(だめです!)」
この時だけ、彼らの甲高い声が裏返った。なるほど、と僕も我に返った。
彼らはこうやって社会科経験も積んでいるのだと実感した。戦闘にかかる情報は重要な国家機密だ。
陸上の国境経験に乏しい日本では、到底ありえない話だと思った。
(ところが事後、こっそり駐屯地内に足を運んで、ちゃっかり写真を撮ってきた。)
※小高い丘の上の駐屯地では準軍事組織のタハーン・プラーンの兵士がテレビを見てリラックスしている。
奥の鉄格子が固く閉ざされているがかつては自由に通行が出来た。
カオプラウィハーン国立公園への主要な入山路は一カ所で、ゲートがあって入場料が徴収される。
ここで徴収作業をしていたのも課外学習の生徒たちだった。料金は一人400バーツとかなりの高額。
1年前に訪ねた人の話ではゲートそのものがなかったというから、現軍政が最近設置をしたようだった。
このほか、駐車場代として30バーツがかかる。
ホテルにチェックインし風俗探索へ
史跡巡りを終えた僕は山を下りると、真っ直ぐ今日の宿泊予定地のシーサケート県中心部に向かった。
国道226号線から少し路地を入った先に、知り合いのタイ人の親族が経営するアパートがあった。
中心部とは言っても、ビッグCなど商業使節がある地点から車で15分は離れた場所。
ちょっと辺鄙な街の外れで「ここからどうやって繁華街に飲みに出よう」と若干の懸念もあった。
が、フレンドリーなオーナーや管理人のおばちゃんにも歓迎され、それなりに満足した。
正規の宿泊代600バーツは受け取らなかった。ありがとうございます。
部屋で少し休んだ後に、街へと繰り出すことにした。
南イサーン地方の田舎町。食い物も、お姉ちゃんも何があるのか少しは確かめたくなっていた。
陽がすっかり西の空に落ちたころ、僕はシーサケートの鉄道駅にも近い路地裏にいた。
目の前には宿泊施設の「クルアティア・マンション」という名の建物。
実はこのホテル横に併設されたタイ料理店には、外に連れ出せる女の子がいるとの情報をつかんでいた。
ここで飯を食べるつもりでいた。
※「クルアティア・マンション」正面。右側の暗い部分がレストランだ。
何気ない素振りでホテルフロントに向かった。
すぐ右脇には、くだんのタイ料理店。ところが、夜というのに灯りが一切付いていない。
フロントにいたおばちゃんに尋ねると、今日は休みとか。さすがに「女はいるの?」とは訊けずにホテルを後にしたが、真偽のほどは分からなかった。
ただ、このホテル、エアコンなしのファンの部屋だと1泊290バーツ、1カ月住んでも3500バーツ。
前回訪問地のナラティワート県にあった置屋ホテルよりも安かったことから、ひょっとしたら同種の形態かもしれないとの思いも少しだけよぎった。
結局、晩飯は近くで見つけた別のタイ料理店「ムーヘン・ポーチャナー」という店で済ませた。
飛び込みだったが、かなり美味かった。
ローカルカラオケ 出会いはいかに
お次はいよいよ夜の本番。明るいうちから狙いを定めていたカラオケ屋に突入することにした。
シーサケート中心部から226号線を西に向かったビッグCの先。
今夜の宿泊地からも歩いて来られる道路沿いに、その店はポツンと立っていた。店名はずばり「レディーナイト・カラオケ」
これで、お姉ちゃんがいなかったら詐欺だ。そんなことを考えていた。
屋外の看板には「VIPルームがある」と書いてある。
すぐ脇ではママさんらしい女の人と、オーナーだろうか、おばちゃんが「ウェルカーム~♡」と客待ちをしていた。
近づくと、店のドアが突然開いて中からオカマの従業員が猛ダッシュで姿を現した。
僕の手を取ると強引に店内へ。嫌な予感と冷や汗が一気に湧いて出てきた。
※「レディーナイト・カラオケ外観」
※店舗上部にはタイ語で「いらっしゃいませ」と書いてある。
店内のソファに座らされた僕は、言われるがままに3人しかいない女の子の中から2人を選んだ。
ナディアとミウ。自称25歳と20歳。ともにウボンラチャタニー出身と言っていた。オカマの名はナム。
関心がないのでそれ以上は聞かなかった。多少の化粧はしているが、終わったオカマだった。
そのナムはシステムを早口で話した後「ここは暑いからVIPルームに移れ」だの「レディースドリンクをウイスキーにしろ」だの
「飯を注文しろ」だの「カラオケを歌え」だの次々と注文を繰り返してくる。
あまりにも面倒だったので、ビールと豆だけは注文して放っておいた。
すると、いつの間にやらテーブルの上には、菓子の盛り合わせやヤム料理が並んでいた。
それだけでは終わらなかった。呼んでいないはずの3人目の女の子までがソファに座り始め、コーラを飲んでいる。
バックでは頼んでもいないのにカラオケの演奏が始まっている。余りの粗相に目も当てられなくなり、僕はソファから立ち上がった。
「帰る!勘定!」
ナムが持ってきた伝票には2790バーツの記載があった。
入店してからまだ30分も経っていない。完全なぼったくりバーだった。
「このオカマやろう」
帰り際、オーナーと思しきおばちゃんから「また来てね!」と声を掛けられたが、二度と来るかと思った。
こうして南イサーンの甘くて切ない旅の初日は暮れていった。
ぼったくりバーの全容はコレだ!
ビールと豆は確かに注文した。だが、30分で4本はさすがにないだろう。氷の4回も不明だ。コーラの9本も結構いっている。
圧巻なのは、頼んでもいないタイ料理「ヤムルアムミット」と菓子の盛り合わせ。しっかりと女の子たちの晩飯になっていた。
金額総額だけで見ればバンコク並みとも言えるかもしれないが、ここはイサーンの片田舎。
注文していないものもあるだけに、やはりぼったくられたというのが正当なところだろう。
貴重な体験をしたというべきだ。なかなか目にすることがないだけに、何かの参考にしてほしい。