ナラーティワート・パッターニー県 (下):早撃二郎のタイ77県珍紀行

可愛いタイガールとのときめく出会いを求めて、キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は
今回が深南部ナラティワート県とパッターニー県編の最終回。
前回、マレーシアとの国境の街スンガイコーロックの置屋街を歩いた僕は、ちょっと好みのおばちゃんを誘うこともしないでホテルに直帰。
そのまま深い眠りに就いた。翌朝は、すっかり晴れ渡った朝陽を浴びて心地良く目を覚まし、朝食もペロリと平らげた。
さあ、最終目的地はまだ足を踏み入れていないパッターニー県。実はこの街、深南部の中でも何度も過激なテロが何度も起きている場所なんだとか。
ひえぇ~、大丈夫なのか?

移動中に不思議な光景に遭遇する

スンガイコーロックからパッターニーまでは最短でも160キロ。車で2時間半は優にかかる。ただ、道はさほど悪くはない。
南国の浜風を受けながら僕は快調にハンドルを握り、これなら昼前にはナラティワート県の中心部を抜けようかと車を飛ばしていた。
市街地に入る前に、ちょうど用が足したくなった。そこでカタバイ郡にある警察署を訪ね、お手洗いを借りることにした。
その時のことだ。車を降り、庁舎に向かおうとした僕は、敷地内に止めてある無数のバイクの異様な光景に目が釘付けとなった。
バイクというバイクのシートが空高く空け放たれ、ヘルメット格納庫の中がむき出しになっていたのだ。

「何だ!これは!」

すぐ近くで、交通整理をしていた真っ黒に日焼けした年配の警備員に聞いてみた。
すると、おっちゃんは涼しい顔でこんなふうに説明をしてくれた。

「この辺は爆弾事件が多いから、バイクを止める時は、こうやってシートを上げておくのがルールになっているんだよ」

なるほど、確かに分かりやすい説明だったが、何とも不思議な光景だ。
おっちゃんの説明によると、過去にヘルメット格納庫の中に隠された爆弾が爆発する事件が多発したことがあったという。
それ以来、この地方ではこのようにしてバイクを止めるようになったとか。日常と隣り合わせの危険。深南部の負の遺産を見た思いがした。
用が済み、車に乗り込もうとしたところ、おっちゃんは近寄ってきて、なおも言った。

「土産は買ったのかい?」
「え、土産?」

このあたりでは、タイ政府も勧める一村一品運動の特産品として干し魚の「プラー・グラオ」が名産なのだという。

南洋の暖かい海で主に捕れる魚で、タイ南部は主要な産地。日本名では「ツバメコノシロ」と呼ばれている。
スズキ目スズキ亜目に所属する魚で、東南アジアなどでの熱帯地方では貴重なタンパク源となっているという。

加工法はいたってシンプルだ。内臓を取り出して塩水で洗い、塩をすり込んで天日干しに吊すだけ。
この時、取り出し口から雑菌が侵入するのを防ぐために、やや朱色がかった専用の紙で封印することを忘れてはならない。
こうして数十日。カチンコチンの板餅ほどの硬さに干上がったら完成だ。見た感じは日本の新巻鮭、硬さは鮭とばに近い。

現地の人々は、これをご馳走として振る舞う。1本ずつ丁寧に箱に入れて販売するのもそのためだ。
かつてはこの地方、王室御用達の高級品を生産していたこともあるとか。ただ、食べ方はとても簡単。
まずは2、3センチほどの厚さにぶつ切りにして油で揚げる。綺麗にきつね色に揚げ上がったら、油をよく切って身をほぐす。
この時に漂う香りが何とも言えないのだという。

ほぐした身は、粥(ヂョーク)に入れてもいいし、白米と食べてもいい。
唐辛子の浮いたナンプラーに、マナオ汁をかければ、この上ないご馳走に。チャーハン(カウパット)にしても美味しい。

パッターニー県の観光地をご紹介

思わぬところで土産を調達した僕は、パッターニー県に向けて車を急がせた。今日の日没までに見ておきたい場所が何軒かあった。
一つは、ちょうど1年数ヶ月前に爆弾事件に見舞われ、建物が一部崩壊した大型ショッピングセンター「ビッグCスーパーセンター」だった。
ここで2017年5月、負傷者50以上の爆弾テロ事件があった。
その建物はメーン通り沿いの、ごくありふれた市街地の一角にポツンと建っていた。
へえ、こんな身近な場所で爆弾事件。改めて日々の暮らしが、危険と共存している様子が感じられた。

駐車場に入るゲートでは、1台1台の車が停止を求められ、車内やトランク、さらには車の下部までもが鏡や爆発物検査装置で入念に調べられる。
見たことのない光景だった。
それでも店内は至って普通のショッピングセンター。地元の買い物客が談笑しながら笑顔で食料品や日用雑貨などの買物を楽しんでいた。
あまりのアンバランスさに、こちらが拍子抜けしてしまうほどだった。

もう一つ、深南部で見ておきたかったのが、パッターニー市街地にある廃墟のようなイスラム教建造物「クルーセ・モスク(マスジッド・クルーセ)」だった。
そもそもは、中国南部出身の林道乾(リンダオキン)が16世紀後半に建てたものだ。マスジットとはモスクを表す。

当地にたどり着く以前、倭寇に紛れて東シナ海や南シナ海一帯で海賊行為を働いていた林は、故郷を追われて拠点を移し
パッターニー王国の女王ラージャ・ビルの知遇を得ることになる。女王は軍事顧問として林を重用し、大砲の制作を指示。
彼もこれに応じる。こうしてイスラム教に改宗し、富を得た林は、その成功の証としてムスリムのモスク、マスジット・クルーセを建立したのだった。

話しはそれだけでは終わらない。時代が下ること400年余り。
今度は、タクシン政権下、この場所がムスリム過激派対軍・警察との戦闘が行われた地点として注目を集める出来事があった。
2004年4月28日未明、両陣営がこの地で武力衝突に至ったのだった。交戦により過激派108人が死亡。治安当局者も5人が死亡した。
深南部で相次ぐ爆弾テロ事件は、この事件が引き金になっているという見方が強い。
この時の火力の後が、今もなおマスジット・クルーセの外観に残されている。

傍らには、林を迎えに中国からやってきて自殺した妹の姑娘(クーニャン)の墓もある。
姑娘をめぐっては、彼女を祀る霊璽舎「サンジャオ・メーリゴーニャオ」も市内の別に場所にあり、願いが叶う施設として参拝客が後を絶たない。
タイ人にとっては、いずれも決して忘れることのできない、歴史的モニュメントとなっている。

夜のパッターニー県で遊べるのか?

パッターニー県の歴史的遺産を急いで見学した僕は、日も暮れてきたことから本日の宿として予約していた「CSパッターニーホテル」に向かった。
王室のシリントン王女や現職閣僚などが宿泊する格式の高いホテルで、安い部屋でも1泊なんと1200バーツもしたが、最後の夜なので奮発した。
お姉ちゃんとのちょっとした期待もあった。



ホテルの周辺には、グルリと取り囲むように、マッサージ店やカラオケ店が点在していた。こんな情報は事前の調べでも出てこなかった。
そこで僕は、近くにあったしゃぶしゃぶ屋で腹ごしらえをして、いくつか散策してみることにした。

最初に訪ねたのは、ホテルに向かって左手に3軒連なるマッサージ店。
店の前にはお色気たっぷりのドレスを着たお姉ちゃんが、スマホに興じていた。僕を見つけると手を振って盛んに誘ってくる。
値段くらいは確かめようと話しかけると、タイ古式マッサージが60分で300バーツ、オイルマッサージが600バーツ。
案の定、スペシャルもあって1500バーツとのことだった。静かな場所なのでお姉ちゃんの数はそういなかったが、まあまあの印象を受けた。

次いで訪ねたのが4軒連なって並んであったカラオケ店の1軒だった。まだ宵の口だったからなのだろう。
女の子はチーママのような子も含めて4人しかいなかった。そのうちの一人、バンコク出身のプラテートちゃん(28)が僕のすぐ脇に座った。

テーブルの向かいには中部スパンブリー県出身のオーナー、ナームさん。
どうして、こんな場所で店を開いているのかを聞くと、次のような答えが返ってきた。

「私はね、肌の黒い男が好きなの。だから南部に来たのよ。今の彼も南部の男でラブラブよ」
はいはい、ご馳走様。今夜も頑張ってください。

続いて、プラテートちゃんにも話しかけてみた。どうして深南部に?の質問には

「お金のため。バンコクで働くと家族や友達にばれちゃうでしょ」
と率直な答え。深南部だけど怖くないの?と質問しても

「私たち庶民が暮らしている場所は大丈夫よ」
とあっけらかんとした反応に終始していた。肝が据わっているという言葉がぴったりだと思った。
このほか、チェンマイ県出身のプーンちゃんという23歳の女の子も可愛かった。

なかなか居心地が良かったので、僕はすっかり長居をしてしまった。気付けば、座ってから3時間余りが経っていた。
酒もほどよく飲んだ。さあ、帰って寝るかと会計し、立ち上がろうとしたところ、プラテートちゃんが耳元でささやいた。

「部屋番号教えて」

その言葉には半信半疑だった。こっちから誘ったわけでもないし、何かの勘違いだろうと、僕は一人でシャワーを浴び
室内にあったビールを開けて、テレビを見ていた。そこへ、小さくドアをノックする音が。時計の針は午前零時を回っていた。

夢をみているような思いでそっとドアを開けると、やはりそこにはプラテートちゃんが立っていた。
仕事が終わったばかりと話していた。どうして来たの?と聞いても、要領よく答えない。
そのうちに勝手にシャワーを浴び始め、冷蔵庫からビールを取って飲み始めた。

こりゃあ、何かの間違いか、縁起がいい。
僕も負けじと次のビールの栓を開けて、その夜を堪能したことは言うまでもない。

・・・つづく。