可愛いタイの女の子との楽しい出会いを求めてキモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は今回から訪問地を変えて新展開。
深南部ナラーティワート県とお隣のパッターニー県にやって来た。
20世紀初めまでここには、マレーシアのクダー地方までを領土とした「パッターニー王国」というイスラム教の国があり、スルターンが統治したムスリムの国だった。
ところが、仏教徒が多数を占めるタイに併合されたことから分離独立運動が起こり、多くの死傷者を出すなど、今ではタイで「最も危険な地域」ともされている。
現在も時折、爆弾テロ事件が起こっていて、21世紀に入ってからの死者だけでも累積5千人を超えるというから驚きだ。
そんな場所にどうして行くのかって?だって、昔から言うじゃない。危険と密の味は隣合わせだって…。
仏教国タイのムスリムエリアへ
バンコク・ドンムアン空港から直行便で1時間半。タイ最南端のナラーティワート空港がある。
驚くことなかれ。この空港、1日に飛行機が往復2便しか飛んでいない。1便は僕の乗った格安航空会社(LCC)のエアアジア。
そして、もう1便がスワンナプーム空港から定期便を就航させているタイ国際航空傘下ブランドのタイスマイル。超ド田舎空港なのだ。
到着したのは昼すぎ。
いつも使うようなそれなりの地方空港だったら、タイ・レンタカーやAVIS、ハーツなどといった大手レンタカー会社のカウンターが軒を連ねて客を待っているのだけど
ここの空港、とにかくミニサイズ。どこにも、そんな看板もカウンターもありゃしない。
「現地で車を調達すればいいや」
なんて軽い気持ちで降り立った人は、きっと後悔するに違いない。それほどの場所なんだ。
だから、僕は予めネットで検索。空港の近くで家族経営のレンタカー屋をやっているという「YPNレンタカー」を探し出し、そこに予約を入れておいた。
ネット上から予約日を確保。あとはLINEでタイ語のやり取り。1日1500バーツは、大手とそう変わらない値段。
ギャランティーの5000バーツも相場と同じで、何の気兼ねもなく空港に降り立つことができた。
乗客出口の外で待っていたのは、肌の浅黒い、間もなく還暦かとおぼしき気立ての良さそうなタイ人のおじいちゃん。
アルンさんと言った。傍らには、しっかり者と見られる息子のフューさんも笑顔で立っていた。まずは、契約書にサイン。そして、料金を支払う。
この間、二人が代わる代わる盛んに質問を投げかけて来る。
「どこの国の人か?」
「車には何人乗るのか?」
「次はいつ来るのか?」
よほど珍しいのだろう。「日本人です」と答えると、「おおー。日本人は初めてだ」と歓声が上がった。
しまいには、タバコを差し出し、「吸ってくれ」とライターで火まで付けてくれる。
「友達の日本人にも、うちの会社のことを紹介しておくれ!」
ここまで歓迎を受けて、悪い気はしない。もし、次回来ることがあったら、間違いなくアルンさんから車を借りようと思った。
足ができたところで、まず僕が向かったのは、タイ最南端のタイの海岸。クラビやサムイといった超有名なビーチではなく、地元の人々だけが暮らす自然で素朴な浜辺を見ておきたかった。車で5分のところにあるバントンビーチは、まさにそんな場所。
到着したのは、お昼も過ぎた午後2時ごろ。
ムスリムの母子たちが海岸線のすぐ近くに建てられた屋根があるだけの休憩小屋で、のんびり午後のひと時を過ごしていた。
この地方には、カラフルに彩られた「ルア・ゴレ」という伝統的な漁船があることはタイのネット情報で知っていた。
浜辺を歩いてみたが、それらしい船が点在するだけで、かなり物足りない。
そこで近所の漁師に聞いてみると、数日前に一帯を襲った台風1号「パブーク」によって船が壊れたり、沖合に流されたらしい。
ところが、漁師のおじさんは「また建造すればいいさ」とどこか涼しげ。何ともおおらかで朗らかな深南部気質がすっかりと気に入ってしまった。
海岸沿いを歩いて気付いたもう一つに、野良ヤギが多いということがあった。
タイの野良犬は全国どこにでもいる見慣れた光景。コンビニや飲食店の店内で寝ていることすらある。
ところが、後で分かったことだが、深南部で見かけるのはもっぱら野良ヤギ。「メェ~」と鳴きながら歩く姿はどこか滑稽でもある。
どうしてヤギが多いかは正確なところ分からなかった。
漁師のおじさんも、途中で立ち寄ったガソリンスタンドの店員も「知らない」という。
ムスリムの人たちはラマダン(断食)明けに子ヤギを神に捧げて食べるというから、それと何か関係があるのかもしれない。
例えば、かつて逃げ出した子ヤギの子孫だとか!
街のあちこちを歩き訪ねて、確かに仏教徒は少なく、ムスリムが圧倒的多数派であることも分かった。
女性の90%以上はヒジャブ(頭を覆う布)を身に付けているし、男性も年配者を中心にイスラム帽をかぶった人が多い。
街の至るところに大小さまざまなモスクがあって、1日に5回、敬虔な祈りの声が街中をこだましているという印象だ。
近くに、300年以上も前に立てられた著名な木造のモスク「ワディー・フーセン・モスク」もあったが、そこでも同様だった。
訪ねたのはちょうど、夕方のお祈りが始まる時間。中の様子を見たかったので、建物の中に入ろうとしたら、ムスリムのおばさんに声を掛けられた。
「ごめんなさいね。ここはイスラム教徒以外は立ち入れないの」
なるほど、そういう決まりになっているんだ。僕は「こちらこそ、すみません」と断って外に出ると
ちょうど近所の女学生たちが下校しているところに出くわした。
みんなヒジャブを頭部にまとっている。そこが、なんだか可愛らしい。
思わず「写真いいですか?」と断って撮影した。はにかむ表情が印象的だった。
ムスリムエリアのアルコール事情
もう一つ触れておかなければならないのが、深南部の店で酒は飲めるのかということだった。
イスラム教では豚に加えて、アルコールの摂取も禁じている。まずは、セブンイレブン。
果たして商品として置いてあるのか。いくつかの店舗を歩いてみた。
結論から言えば、何の問題もなく販売されていた。ビールはキンキンに冷えていたし、レジの奥の棚にはウイスキーも陳列されていた。
最初に飛び込んだ店に酒類が一切なかったので、「おお!深南部では酒も変えないのか!」と早合点したが、その店のすぐ近くには学校があった。
バンコクでもそうだが、学校の周辺では酒類の販売許可が下りない。ただ、それだけのことだった。
次は、飲食店だった。どこにでもあるようなクイティアオ(タイの麺類)の店を訪ねた。
ところが「(酒は)ない」と一言。その次のタイ飯屋も同じだった。
「お!いよいよか」と思って、近くの屋台のおばさんに聞いてみると、「この辺はないわよ」と涼しい答えが返ってきた。
この暑い最中、ビールなしではとてもやっていられない。僕の喉はカラカラに乾き、悲鳴を上げていた。
そこで考えついた一案が、宿に併設した食堂ならあるんじゃないか、という仮説だった。果たして、ビールは癒やしのオアシスとして喉を通過してくれるのか。
見つけたのはタイ語で「マントゥラー」という黄色の二階建ての一般宿だった。
西部劇のスタジオを思わせるようなたたずまい。一階の奥にタイレストランがあった。「チューンカー」とウェートレスの黄色い声が一斉に響く。僕は祈るように言った。
「ビール、ある?」
「あります」という答えに、天にも昇るような気持ちになった。その場で大好きなリオビールを2本も注文すると、急いでバンナラ川に面した奥のテラス席に向かい座った。
川からの風が心地よい。間もなく夕暮れが始まるころだ。東の空の向こう側では、何の鳥だろうか。
群れをなして飛んでいく姿が見える。僕は適当にタイ料理を注文すると、勢いよくリオビールを流し込んだ。ガス欠の車がガソリンをたらふく飲み込むように。
一息付いたところで、ビールを注ぎに来たウェイターに声を掛けてみた。トムと名乗った名乗ったその男性は、なかなかのイケメンの30歳代前半。
見た感じクリスチャンでも通りそうだった。そこで尋ねた。「君は、イスラム教徒かい?」
間髪を入れず、「そうです」という答えが返ってきた。やはりそうか。
こんな現代風の若者もムスリムだったんだ。ならばと、さらに聞いてみた。「君は酒は飲むのかい?」
ところが、トムはただ笑うだけ。質問には答えようとはしない。これが世俗的なムスリムなのだと思った。
深南部以南のマレー半島南部、さらにはインドネシア一帯は、イスラム教とはいえども世俗派が多数を占める地域だ。
酒は本当はダメだけれども…。別の一面を見た思いがした。
ナラティワートホテルで宿泊する
さて、腹も満ちたところで、今日の寝床へと向かうことにした。泊まる宿は決めていた。
すぐ近くにある「ナラティワートホテル」。この名を聞いただけでなるほどと思う人は、かなりの通だ。ずばり、置屋併設ホテル。
バンナラ川沿いにある二階建てのそれは、川に面した二階部分6室だけが客間。階下の一階9室と表の二階部分7室は全て置屋となっていて
お姉さんたちが日に日に客を取っている。
営業時間は午前10時から午後8時。1回500バーツ。宿泊客が利用しても構わない。
この宿は、電話やネットを含め一切の予約ができないことでも有名だ。泊まりたいその日に足を運び、部屋が空いていれば泊まることができる。
期限もなく、1泊250バーツを払って泊まりたいだけいても構わない。水回りは共同でトイレの一角にシャワーがあるが、お湯は出ない。
エアコンやファンもなく、扉も閉まりが悪い。ゴキブリも時々、姿を見せる。
「こんにちは!」
二階の一部屋に入ろうとした僕に声を掛けてくる女の人がいた。胸元が開いた真っ赤なワンピースを着た40歳は超えていると思われるおばさん。
ビックリした。こんなところで流暢な日本語に出会うとは。それだけにとどまらなかった。
「アタシ、ハヤシ・フジコ!」
「え!フジコ?」
僕の頭はすっかりと混乱していた。