カンチャナブリー県(下):早撃二郎のタイ77県珍紀行

タイ人ガールとの出会いを求めてキモオタ肥満男がタイ全土を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」のカンチャナブリー編は今回が最終回。
物語はいよいよ佳境へと向かっていく。2日目の夜に出会ったバービア「マイ・リー・バー」のヌンは、明け方6時過ぎには起き、静かに部屋を出て行った。
別れ間際に「ママが待っているの」と耳打ちしていたが、真実は分からない。分からなくても構わなかった。十分に満足していた。
それ以上、何も聞かなかった。

朝食からのダムリさん風俗ツアー!

もう一眠りして目が覚めた時時計の針は10時を回っていた。熟睡したぶん、疲れは取れていた。
それにしても腹が減った。
服を着替え、外に出てみると、昨日のサレン(この地方のモーターサイ)の運ちゃんダムリさんが、ニッコリ待っているではないか。
「Good Morning !今日はどこに案内しようか!」
朝からボルテージは絶好調だ。

カメラを向けると必ずタバコを咥えるダムリさん。

まずは腹ごしらえだと言うと
ダムリさんはクウェー川沿いの水上レストランに案内してくれた。
場所は市中心部から車で10分ほどの「タラ・ブレー・レストラン」

クウェー川沿いにあるレストラン。風が心地よい。

すぐ目の前の水面を、物資を積んだ貨物船や観光客向けのログハウスを牽引したタグボートが通り過ぎていく。田舎情緒たっぷりの長閑な光景。
ここで食べた魚料理も最高だった。丸ごと1尾を素揚げした上に掛かった野菜たっぷりの餡。昼からのビールも進んだ。

夕方の写真。恋人と来ればロマンチックな時を過ごせるのに…。

ひとしきり腹が膨れたことで今日もダムリさんのサレンに世話になることになった。
ところがダムリさん、昨日は500バーツだったのに今日は400でいいと言う。
何とも商売っ気のなさに、人の良さを感じた。

「ありがと、おっちゃん。次回も必ず指名するから!」

驚きの一ヶ所目!置屋長屋とは?

真っ先に立ち寄ったのが、宿からもそう遠くない「タノン・イープン(ジャパンロード)」という愛称の付いた路地沿いにある置屋長屋だった。
全戸が通りに面した粗末な平屋建て。5軒続きの向かって右から2軒目が、目当ての置屋だという。
ところが扉はきっちりと占められ小さな南京錠が掛かっていた。

「ちぇっ、今日は休みか」

ダムリさんはそう舌打ちすると次の店を目指そうとした。
ちょっ、ちょっと待って。

よく見ると、他の部屋の前では小さな子供がいたり、女の人が大きなたらいで皿洗いをしたりと生活臭が絶えない。
えっ、こんなところで、と見入っていると

ダムリさんは「ここがそうだ」とドヤ顔を隠さない。

看板や表札も何もない単なる民家。案内がなかったら、絶対に探し当てることは不可能だ。

改めてダムリさんの情報通ぶりに頭が下がった。

置屋長屋外観。一見、普通の民家のようだが…。

 

もし扉が開いていても突撃する勇気は無かったかもしれない。

ヒエェ〜!隠れMPで散々な目に!

次に目指したのが、ホテルに併設されているという「隠れMP」だった。
専用の裏口があって、そこから建物内にコッソリと入るのだという。
モグリだから表向き看板も何もないが、中ではホテルの客間が使えるのでMPとしてはそう悪くないそうだ。
ただ一つ難点なのが、出入り口が極めて分かりにくく、なかなかたどり着けないという点。

ダムリさんも
「軍や警察に見つからないためだ。俺も最初は戸惑ったよ」
と話していた。

市街地から北にやや外れた住宅街に、その「タン・ティップ・カン・ホテル」はあった。
そもそもホテルそのものがメイン通りから細い路地を入った突き当たりにあって、ただでさえ見つけにくい場所。
路地の先にはわずかな駐車スペースとホテルの玄関があるだけで、通常の客ならば真っ直ぐ玄関を目指して歩いてしまうだろう。
そこを手前に左側、観葉植物で隠れた向こう側の空間に目指す出入り口はある。

メイン通りにひっそりと掲げられている看板。

 

路地を進むとメイドなどの休憩スペースが見えてくる。

駐車場の隅にあった小屋の前では、ヤーム(警備員)や仕事を終えたメーバーン(清掃係)が集まって、井戸端会議をしている。
こんなところを一人で訪れる日本人はまずいない。チラリ、チラリと目で追っているのが分かる。
好奇心に名を借りた背後からの熱い視線を一身に浴びながら、僕は衝立の向こう側に直進した。

路地を左に折れた先にあるピンクの通路。この先が隠れMPだ。

隠れMPに通じるピンク色一色の細い通路は奥行き約10メートル。突き当たった先で右に折れており、その先は見えない。
正面の壁頭上には、こちらを睨む無言の監視カメラ。僕は一瞬ひるんだが、意を決して突入することにした。
こんなチャンス滅多にない。
あの師匠も知らない穴場が見つけられるかもしれないという淡い興奮もあった。

通路に進入すると確かにMPの雰囲気が…。

右に折れた通路は、すぐ目の前で左にわかれていた。見ると小さな下りの階段。
その先の手の届く距離に、場末の飲食店で見かけるような木製の扉があった。
辺りは静まり返り、物音一つ聞こえてこない。扉のすりガラスを通して見る室内も、照明が消えているようで真っ暗だった。

薄暗い通路。この扉の先に女がいるのか?

「サワディーカップ。誰かいますか?」

僕は小声でそう挨拶し、ドアを押してみた。施錠はしておらず、扉が軋んだ音を立てて内側に開いた。
室内に入ってみたが人の気配は全くない。しばらくエアコンを切っていたと見え、生ぬるい空気が鼻を突いた。

「こんにちはー」

繰り返し、今度はやや大きな声を出してみたが、やはり反応はなかった。
無人であることは間違いないようだった。

ふと、隣の部屋から小さな灯りが漏れているのに気付いた。そこまで大股で4〜5歩。

「誰かいますか?」

思い切って覗いてみると、楽屋裏のような隣室には床一面に女性もののハイヒール。
脱ぎ捨てられたままの状態と思われ、狭い空間に50足ほどが散乱していた。

その時だった。
猫と思われる獣の甲高い声が聞こえ、頭の上をかすめていった。ヒエ〜!思わず、後ずさりをして腰が地面に落ちた。
誰かが猫を放って様子を見ようとしているのか。僕の両手は、脂汗でべったりと濡れていた。
「誰か」「誰か」と声をかけても、静まった室内に返事はない。
少し前まで、ここに50人もの女たちがいたのかと想像すると、その雲泥の差にも愕然とした。

だんだんと不気味になってきた。真っ暗な室内にはドアや階段が数カ所あるのが、うっすらと確認できる。
だが、それ以上の灯りはなく、その先に何があるのかの見当はつかない。

閉じられた奥の院を見てみたいという好奇心もあったが、それよりも恐怖が先行してしまっていた。
怖いお兄ちゃんが出てきてピストルを突きつけられ、身柄を拘束された揚げ句、ボコボコにされて明日からボーイなんてのも勘弁して欲しかった。
もう僕には向こう側を覗いてみる勇気は残っていなかった。
正直に、ちびりそうだった。手に汗を握った僕の脳裏では、退散の文字が旋回をしていた。
ここまで来て情けないけど、それしかない。あれが師匠だったら。
そう思うと、悔し涙でいっぱいだった。

ダムリさんはメーン通りで待っていてくれた。「どうだった?」と興味津々といった様子だ。
僕は事の次第を身振り手振りで説明。情けないけど戻って来たと告げた。
ところがダムリさん、一通り聞き終わると、ワッ、ハッ、ハッ!と大声を上げて笑うではないか。
おまけに、「まだ営業時間前だからな。開いているかもしれないと思ってきたんだが、やっぱりそうか」と涼しい顔。

隠れMPの営業時間は、通常夕方5時から深夜1時まで。ところが、ごく希に昼間から店を開けることもあるという。
特に、軍と警察の手入れ情報がある日は、夜間の営業を取り止めて、昼間の営業に切り換えるのだという。

さらに、僕が足を踏み込んだ場所はカフェになっていて、そこで客が女の子の品定めをするのだとも教えてくれた。
ハイヒールが散乱していたのは、予想したとおり女の子たちの楽屋裏。

「よく、そんなところに入ったな」と感心していた。でもね、ダムリさん、そう分かっていたのならあらかじめ言っておくれよ。
怖い思いしたんだから。そう思っていると、おっちゃんはウインクしながら言った。

「また、後で営業時間内に案内するよ」

結局、その後はいったん宿に戻ることにした。

「まだ、あるぞ」とダムリさんは言ってくれたが、モグリMPの一件で心身ともに疲れ切っていた。
しばらく充電が必要だった。ホテルのベッドで2〜3時間ほど休みを取ることにした。

運良く最高のバービアに巡りあう!

目が覚めた時、陽はすっかりと暮れていた。時刻を確認すると、午後8時を回っているではないか。たっぷり3時間は昼寝した計算になる。
僕はシャワーを浴びて身支度を調えると、最後の夜の街へと繰り出した。
腹ごしらえをしながら、女の子を物色するつもりでいた。

バービア通りのちょうど真ん中あたり、セブンイレブンにも近い場所にそのバービアはあった。「モンキー・バー」
ファラン(西洋人)が好むようなたたずまいだったが、適度に空いているところが気に入った。

モンキー・バー外観。賑やかな雰囲気。

 

モンキー・バー店内。沈没ファランがカウンターで燻っていた。

ケチのファランはビール小瓶1本で何時間も粘る。女の子におごりもしない。
それでいて、声がでかい。外国にいてもホームと勘違いしているのか、英語で捲し立ててくる。
そんな典型的なファランが僕は嫌いだった。

「この、帝国主義者めが!」

喧嘩になることも少なくなかった。

店内に入り、中ほどの席に座ると、小綺麗なタイ人のおばちゃんが近づいてきた。店のマネージャーなのだという。
驚いたのは、その達者な日本語。

「お客さん、日本の方でしょう。どこからいらしたの?」

名をノーイさんと言った。スクンビット24にあったホテルで2年間、フロントレディをしたことがあるという。
さらに聞くと、日本人の男性と交際していたこともあり、日本で2年間暮らしたこともあったとか。どうりで、上手いわけだ。

気遣いも日本流で最高だった。グラスのビールや氷が少なくなれば、さりげなく継ぎ足してくれる。
おしぼりの渡し方、つまみの提供も慎ましかった。「この店、アタリだな」
僕は心の中でつぶやいていた。後は女の子だけだ。

向こうのテーブルでスタッフの一人がお腹を満たそうとしていた。ちょうど賄いの時間のようだ。
大きめの白い皿には美味そうなガパオライスとミニサラダ、カイダーオ(目玉焼き)。

ガパオはシンプルであるがゆえに、見た目も大切。豊かな光沢に、ゆっくりと沸き立つ湯気。
僕はすっかり忘れかけていた空腹を思い出した。

「それ、こっちにも一つちょうだい!」

注文したガパオ。高級タイ料理レストランの味。

ノーイさんは、「美味しいですか」としきりに聞く。
僕は、「アロイ、アロイ」と頬張ったが、そのうちに厨房から一人のおばちゃんを連れてきた。
小太りのその女の人はアユタヤ出身のジェニーさん。その昔、ザ・ペニシュランホテルでコックをしていたという。
タイ料理はもちろん、西洋料理、中華料理にも通じているといい、店の総料理長を務めていた。
ガパオライスももちろん彼女が調理したものだ。

「こんなところで、一流ホテルの料理が食べられるのか」
ひとしきり関心している僕にジェニーさんは、いつまで滞在するんだと何度も聞く。
「明日バンコクに帰るんだよ」と返すと彼女は言った。

「オーケー。明日の昼、ご飯を食べにおいで。美味いもん食べさしてあげるから」

土偶体型ミンとの出会いと熱い夜!

それから僕はすっかり陽気になっていた。両脇に付いた女の子たちに何杯おごったか分からない。
そのうちに、ふと右隣に座った娘が気になって仕方がなくなった。目鼻立ちが濃いめのオリエンタルな顔立ち。
中肉中背ながら、一筆書きの「可愛いコックさん」にそっくりの土偶体型。名をミンと言った。

私の携帯を奪い取り自撮りするミン。

 

サービスで胸も撮らせてくれた。

自称21歳はまんざら嘘でもなさそう。母親はタイ人とミャンマーに多いカレン族のハーフ、父親はタイ人と話していた。
両親は離婚しており、ともに新しい配偶者がいるため一人で暮らしているのだという。
家賃4000バーツのアパートで貯金をし、将来の夢はタウンハウスを購入すること。
目標の金額は200万バーツ。車とバイクを所有していた。

ミンがしきりに甘えてくる。

「一緒に帰りたい」
耳元で繰り返されるささやきに、僕はもうすっかり舞い上がっていた。
決断に躊躇はなかった。カンチャナブリー3日目の夜は土偶娘がお相手だった。

モンキー・バーのスタッフたち。 左上から時計回りで、ジェニー、ミン、ノック、ノーイ、ディーン。

翌朝、僕らはチェックアウトを終えた隣室の掃除機の音で目が覚めた。
それでも、まだ10時過ぎ。互いにシャワーを浴び準備を整えてから外に出ると、すでに太陽は高くなっていた。
僕は空を見上げて大きく息を吸った。戦った後の朝はすがすがしかった。ちょっと痛かったけど心の中では大きく満足していた。

ミンの希望で朝食は、夕べのバービア「モンキー・バー」で取ることにした。とはいえ、店はまだオープン前。
住み込み従業員のための食事を分けてもらって腹の足しにした。十分、美味かった。食後は、彼女を自宅まで送り届けた。

「今日は、お母さんが来ているの」

ミンはそう言っていた。だから、なのだろう。僕のレンタカーをアパートの少し手前で止めさせ、彼女は手を振って走って帰って行った。
本当かどうかなどと野暮なことは考えてはいけないと思った。

最後まで世話になったモンキーバー

少しだけ市内をぶらりと散策した後、モンキー・バーに戻ったのはちょうど正午ごろのことだった。
すでに出勤していたマネジャーのノーイさんは僕を見つけると、喜んで言ってくれた。

「来てくれたのね!」

料理長のジェニーさんは厨房で調理に取り掛かっていた。

ゲーン・マッサマン

 

ヤムカイダーオ

 

コームーヤーン

 

プラー・トード・ナンプラー

定番のタイ料理が僕のテーブルに次々と並べられた。どれもこれも、ジェニーさんが仕込んだ本場の味。
舌鼓を打つには十分過ぎるほどの出来映えだった。久しぶりに美味いタイ料理を堪能した。

こうして、僕の3泊4日の旅は大満足のうちに終了した。
スリー・パゴダ・パスで途方に立ち尽くしたのも、今となっては良い思い出となった。人影の少ないサンクラブリーの夜の道で野犬に襲われそうだったのも愛嬌だった。
カンチャナブリー市内に出てきてからは夢のような出会いがあった。

僕は心を躍らせてバンコクまでの帰路に就いた。

(つづく)

バービアでの出会い その後の顛末


すっかりお世話になったカンチャナブリーのバービア「モンキー・バー」。
可愛い土偶娘のミンはさることながら、おもてなしの心が分かるマネージャーのノーイさん
一流ホテルで経験を積んだ総料理長のジェニーさんと、愛嬌たっぷり、優しい人たちばかり。

だが、その一方で忘れてはならないのが、店のオーナー、ディーンさんだ。
自称49歳。明らかに最年長の彼女は、チェンライの出身。日本人との恋愛経験があるといい、その彼氏とは喧嘩の末に「捨てられた」のだと説明していた。
人の世話を焼くことが好きなようで、昔話の最中も、果物を剥いては僕の口に運んでくれる。この時、気がついておけばよかったと後に心から悔やんだが、後の祭りだった。

バンコクに戻って3日ほど経ってからだった。ディーンさんからしきりにLINEのメッセージが届く。

「覚えている?」
「どうしているの?」

始めのうちは丁寧に返事をしていたが、次第に面倒くさくなり放置していると、今度は

「会いたい」
「バンコクに来週行くわ」

と積極的なメールが。少し怖くなり、「来週はプーケットに出張」と返し、とぼけることにした。

圧巻だったのは、その翌週のことだ。「プーケット空港に今着いたわ。さあ、貴方はどこ?」。背筋が凍った。やばい、このおばさん。
瞬時に、「もう、日本に本帰国することにした」とメッセージを送り、履歴を削除。すると、しばらくしてから驚愕の動画が送られてきた。

再生マークを押すと、いきなり動き出す全裸のママ。風呂上がりと見え、気持ちよさそうに前身にオイルを塗っているではないか。

時々、カモーン!と言いたげな表情も。僕はもう、気持ちが悪くなって途中で閉じることにした。
後に友人に見てもらったが、バッチリ映っていたという。

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