ラチャブリー・サムットソンクラーム・サムットサーコーン県 (上):早撃二郎のタイ77県珍紀行

はにかむ笑顔が色っぽい素敵なタイの女の子との一夜の出会いを求めて
キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は今回から新シリーズ。
バンコク西方にある中部ラチャブリー・サムットソンクラーム・サムットサーコーンの3県を取り上げる。
バンコクから車で2時間ほどと近いため、意外と知られていない未知のゾーン。
一体どんな出会いが待っているのか。
7月某日の日曜日、早起きした僕はハンドルを西に取った。

伝統芸能を鑑賞しにラチャブリーへ

真っ先に訪ねたのはミャンマーとも長い国境線を持つラチャブリー県。
毎週土曜日と日曜日にしか開かれないというタイの伝統影絵「ナン・ヤイ」を見るためだった。

「ナン・ヤイ?何じゃい、それ?」

初めて耳にする読者もいることだろう。
つまらない駄洒落が飛び出るほど、日本人には馴染みの薄い場所のようだ。
※博物館に飾ってあった「ナン・ヤイ」の写真

乾燥させた牛革に彫刻を施し、それに照明を当てながら手に持って踊る舞とでも言えばいいだろうか。
スコータイ王朝期(13世紀半ば年~15世紀半ば)にはすでに誕生していたとされ、屋外で行う娯楽的性格も持ち合わせていたとされる。
踊りの主要なストーリーはインド・ヒンドゥー教の叙事詩ラーマーヤナから来ており
彫刻、舞踊、音楽、文字と異なる複数の芸術や宗教的要素が組み合わさったタイの伝統芸能だ。
※「ナン・ヤイ」の会場の脇にあった看板

牛革に描かれる装飾様式は多様で、描かれる素材も戦闘の勝者、一般の兵士、ヒロイン、巨人、猿といった動物まで実に多彩。
大型の影絵からはほぼ平行した2本の、小型のものからは1本の握り手が伸びており、踊り子はそれを持って右に左に優雅に身体をくゆらす。
背後ではタイの伝統楽器「ピーパート」の奏でる音色。かつては、ココナツの殻を燃やして光を当て、照明替わりとしていたという。

足を運んだのはラチャブリー県北部にある「ワット・カノン寺」
同県出身の高僧「ルアンプー・クロム」が建てたことで知られる比較的新しい寺だ。
境内には「ナン・ヤイ博物館」が併設されており、大小さまざまなナン・ヤイの実物を目にすることができる。
ラーマ9世の故プミポン前国王の姿をデザインしたものもあった。

この寺で週末限定のナン・ヤイが見られると聞いて到着したのが午前10時すぎ。
まだそれらしい様子は見られなかった。ただ、タイの寺院ではどこにでもある屋台が出ていたので
遅い朝食代わりにバーミーナーム(タイのラーメン)を2杯すすった。土産物屋もすでに開店していた。

※「ナン・ヤイ博物館」では高校の生徒らが社会見学する姿もあった
※博物館の中はかなり広く年代物のナン・ヤイが多数展示されている

※逆光でのナン・ヤイはとても美しく迫力がある

11時近くになると、にわかに人の出入りが見られるようになった。
どうやら、土産物屋のすぐ脇にあるちょっとした空地が舞台代わりのようだった。
確かに空地の一辺には、ステージ代わりになりそうなわずかな踏み台もある。
間もなくすると、ピーパートの音に合わせて3人の女の子たちがタイ舞踊を演じ始めた。
いよいよ開演だ。

※タイ式ダンスを披露する女の子たち
※手の動きが独特なタイ式ダンスは見ごたえあり

伝統舞踊が終わると、間髪を入れずに待ち焦がれたナン・ヤイが始まった。
最年長は30歳代、最年少は5~6歳という民族衣装を着用した男性の踊り子たちが代わる代わるに10数人。
勇ましい舞を披露してくれた。幼い男の子はともかくとして、いずれもかなりの練習を積んでいると見受けられるほどの本格的な演技だった。
※掛け声や音楽に合わせてナン・ヤイを動かす男たち

締めくくりは、白粉で化粧をした人形扮する女の子が演じる二人羽織。
先ほどまで踊っていたうちの一人が黒子役となって人形役の女の子を指揮する。
人間なのに、まるで人形が踊っているように見える。
これぞ、タイの人形浄瑠璃であると見た。
※すべての演目の中でこの人形浄瑠璃が一番見ごたえがあり声援も多かった

後で分かったことだが、このナン・ヤイ、19世紀後半にはすっかり廃れてしまい、後継者もいなくなっていたとか。
欧米列強の東南アジア進出や2回にわたる世界大戦の時代の中で、牛革の影絵も倉庫の中で埃をかぶっていたらしい。
わずかに口承で伝え残っていたところを、1970年代になって著名な研究者らが復興に尽力。
文献をたどるなどして、蘇ることとなった。

80年代になると、王室のシリントン王女の協力も得て、伝統舞踊は次第に息を吹き返し、ワット・カノン寺の敷地内にはナン・ヤイ博物館も建てられた。
チュラローンコーン大学などの文学部では研究も再開され、過去の様子も再現されることになった。
踊りを習おうとする地元の若者も少しずつ増え始め、いつしかタイのメディアにも取り上げられるように。
こうして、大型影絵人形劇のナン・ヤイは見事復活。毎週週末、無料で地元の人たちや観光客に公開されている。

日本人にも有名な鉄道市場を見学

続いて僕が目指したのは、朝方、通過しただけのサムットソンクラーム県。
日本でも有名なタイ国鉄メークローン線終着駅の名物「メークローン鉄道市場」を見るためだった。
列車が歩くよりも遅い速度で、市場のすぐ目の前をゆっくりと通過するのは1日にわずか4往復のみ。
日除けの傘を一斉に閉じて列車の過ぎゆくのをじっと待つことから、市場全体は「傘市場=タラート・ロム」とも呼ばれている。

訪ねたのは定刻午後2時半の到着時よりも30分以上も前。
ところが、すでに観光客らの黒山の人だかり。その半分近くは中国からの団体客と見られた。
あちらこちらで中国製スマートフォン(多機能携帯電話)を操作する中国語の叫び声が聞こえていた。

多くの観光客でもみくちゃの中を列車が近づいてくる。
長い車列の渋滞を作ったまま踏切の遮断機は閉じられるが、その中の線路の上まで人がいっぱい。
秩序も何もあったもんじゃない。誘導の鉄道保安員も危険を取り除こうと、方々に声をかけて必死の形相だ。
誰しもが我先にとシャッターチャンスと定位置を探る中、果敢にも僕は結構な一枚の撮影に成功した(と思っている)。

「ざけんなよ!観光客!」

ここは戦場だった。
※メークローン鉄道市場。列車がゆっくりと駅に向かっている。保安員は観光客を見事に誘導していた

早朝からの強行移動ですっかりと疲れていた僕は、メークローン鉄道市場の撮影を終えると一路、ラチャブリー県を目指した。
忘れてはいけない、夜の世界のパトロールも毎度毎度の目的だった。
泊まったのは同県中心部から少し南に外れた「スペース59」という小綺麗なホテル。築年数も新しく、清潔感も十分にある。
午後6時前、前線基地とすべくここに投宿した。
ラチャブリーで宿泊したホテル「スペース59」

日没までにはもう少しある。
通された5階の客間から外を見ると、遠く向こうに雨上がりの美しい虹が見えた。
虹なんて、何年ぶりだろう。それに、腹も結構減っていた。
そこで僕は、眼下に見えた洒落たレストランを訪ねることにした。
このホテルの周りにはコンビニエンスストアや雑貨屋すら一軒もなく、その店が唯一の食事処と見受けられた。

店の名は「キンジュ・カフェ」
※「キンジュ・カフェ」店内。家族やカップルで賑わっていた

なんと、寿司や刺身をメインとする日本料理店だった。
ウエートレスに聞いてみると、地元では行列ができるほどの繁盛店で、オーナーはタイ人夫妻。
出てくる料理のクオリティーはバンコクの人気店顔負けの水準で、このレベルならヒットも間違いない。
それでいて、料金はバンコクのそれよりリーズナブル。すっかりと気に入って腹を満たした。

※鯛のにぎり。このクオリティーをラチャブリーで味わえるとは思ってなかった
※刺身盛り合わせ

ラチャブリーの夜 風俗はあるのか?

時計の針は8時近くを指していた。さあ、もうそろそろいい時間だ。
僕は向かいのホテルのヤーム(用務員)が呼んでくれたトゥクトゥクに乗り込むと、年配の運転手に行った。

「おっちゃん!置屋に行って!」

ラチャブリー県中心部に置屋代わりの連れ込みホテルがあるらしいことは、不確かなネット情報で知っていた。
だが、詳しい所在地やホテルの名前は分からなかった。
不明の場合は、現地のモーターサイ(バイクタクシー)かトゥクトゥクの運転手に聞くに限るというのは、もう既に繰り返された旅で熟知していた。
運ちゃんもさほど驚いた様子もなく「好きだねえ!お客さんも!」といった半分あきれ顔で返してくる。
5分ほど走ると、おっちゃんはとあるホテルの裏手に車を止めて言った。

「ここだ!」

ホテルの名は「ホン・ファー・ホテル」と言った。
なるほど、表の通りからは見えないホテル裏側にある1階スペースに
それらしい服装と化粧をした4人の女性がプラスチック製の椅子に座ってスマホいじりをしている。
そのうちの一人が僕に気がつき顔を上げた。
40歳はいっていると見られるぽっちゃり型のおばちゃんだった。
※「ホン・ファー・ホテル」外観。このホテルの裏が置屋となっている

「お兄さん、日本人?」

そのおばちゃんは、いきなり声をかけてきた。
驚いたの何のって!こんな片田舎の、しかも朽ちかかったようなオンボロ連れ込みホテルの裏庭で
見ず知らずのタイ人女性からいきなり日本語で呼びかけられたんだから。聞くと、おばちゃんはジョイさん。
年齢は笑って教えてくれなかった。ずいぶんと前にタニヤで働いたことがあって、そこで日本語を覚えたとか。
変なタイ語なまりもなく流暢な日本語に、僕はすっかり安心感を抱いていた。
※右側がジョイさん

ジョイさんによると、ホテルの客間を使った置屋営業は毎日午後8時から午前1時ごろまで。
1発550バーツ制で、時間制ではない。日本人はまず来ることはないと話していたが、完全な否定はしなかった。
バックパッカーの猛者がここを訪れている可能性は高い。

4人いるうちのもう一人は、ジョイさんと同じ40歳代とみられた。
残る二人も派手な衣装を纏って化粧をしていたが、表情の艶から20歳代もあり得る感じだった。
だが、化粧のケバケバさとかなり太めの体型もあってちょっとお相手は難しいと思った。

外では、トゥクトゥクのおっちゃんが興味津々で一部始終を遠目で見つめていた。
車両に近づくと、「いい女はいなかったかい?」と声をかけてきた。「ダメだったねえ」と返すと、「他にもあるぞ」と新たな提案。
少しだけ思案したが、まだ夜9時前。このまま夜のパトロールが終わるのも勿体なく、そこに連れて行ってもらうことにした。

10分ほど走っておっちゃんが車を止めたのは、タイ古式マッサージの店「スター・ブーム」という店だった。
メーンの通りから1本路地に入って少し進んだ突き当たりの左側。
闇夜にうっすらと浮かぶビルの2階で、マッサージ屋からは妖しい光が放たれていた。
※「スター・ブーム」外観

くの字型の階段を上り、ガラス戸を押す。
テーブル席が8卓ほどある向こう側に、照明の半ば落ちかけた雛壇があった。
スマホを一心に見つめる女。ソファーに横たわって寝ている女、テレビをじっと見つめて菓子を食っている女。
ただ、いずれも40歳は優に超えているようだった。
店全体も暗くて活気もなく、終わったマッサージ屋というのが第一印象だった。

トゥクトゥクのおっちゃんの話では、マッサージの後、ここで本番のスペシャルができるということだった。
そこで僕は受付に足を運ぶと、客の相手をするつもりもなさそうなテレビを見ていた女に尋ねた。

「スペシャルはあるのかい?」

ところが、女はこちらをチラリと一瞥することもなく、「ない」とぶっきらぼうに一言。
少しムッとしたが、「あると聞いたんだが?」と重ねると、ようやく視線をこちらに向けてきた。

※お休み中のマッサージ嬢も。後ろのひな壇は荷物置き場と化していた
※怪訝な表情を浮かべるマッサージ嬢

受付の女は90分で300バーツと言ってきた。
おいおい、それは通常のマッサージ料金だろう。スペシャルだよ。
そう言いかけたところへ、雛壇の方向から真っ赤なドレスを着た一人のおばちゃんが近づいて来て、口を開いた。

「お客さん、日本人?」

げっ、ここでも日本語!

「アタシ、山内エミ」

おばちゃんは、そう自己紹介した。
日本語はかなり達者だ。人当たりは良さそうで笑顔も悪くはなかったが、近くで見ると明らかに50歳代には届いていそうな出で立ちだった。
それにしても、どうしてこんなところで。
俄然、面白くなってきた。僕はエミさんと話がしたくなった。

・・・つづく。