ターク県 (上):早撃二郎のタイ77県珍紀行

魅力あふれるタイ人女性との一夜のときめきを求めて、キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は今回から新訪問地。ミャンマーと国境を制するタイ北部「ターク県」がその現場。

県章

ナレースワン大王によって最初にビルマから解放され、独立宣言が出されたのを記念し白象に乗るナレースワン大王がデザインされている。

ターク県とは?

もともと、ターク県の周辺はモン族の居住地だったが。11世紀頃からのタイ族の進出に伴いターク県の地域でもタイ人の入植が行われた。
ナレースワン大王のアユタヤ独立宣言がなされた場所であり、ビルマの占領を退けたタークシンの赴任地だったということから、ターク県はしばしタイ救国の英雄にゆかりの有る地域と言われ、県民の誇りの一つともなっている。
県は中央よりやや南が東西から締め付けられる形でくびれており、特にくびれたところから南部は入植が比較的少なかったために手つかずの自然が残っている。
この地域の一部はユネスコの世界遺産に登録されたフワイ・カーケン野生生物保護区の保護地区でもある。県内には6つの国立公園を抱える。
全体に山岳地帯が多く、森も多いことから耕作に適した地域が非常に少ない。

バンコクからは直線距離で400キロ余りとそう遠くない印象を持つかもしれないけど、陸路を使った場合
広大なチャオプラヤーデルタを6時間以上もひた走らなくてはならず、国境までとなればさらに険しい山岳地帯が待ち受ける。
一方で、地方にありながらミャンマー(ビルマ)からの出稼ぎも多く、国際色豊かな県としても知られる。
一体どんな出会いが待っているのか。僕は胸を弾ませて空路現地へと向かった。

タイで一番大きな木を目指して!

ターク県メーソート郡。西側一帯をミャンマーと国境を接する辺境の街に県内唯一の空港はある。
およそプロペラ機しか飛べない1500メートルの滑走路が1本だけ。ボーディングブリッジもない、タイでおそらく最小クラスの地方空港だ。
ところが、なんと、ここには国際線カウンターがあり、小さな小さなイミグレーション窓口が施設内に存在する。

今は使われていないようだけど不思議に思った僕は、近くにいた空港職員のおじさんにその理由を尋ねてみた。

「ああ、あれかい?少し前までここにはミャンマーの最大都市ヤンゴンや第3の都市のモーラミャインからの定期便があったのさ。お客が増えれば、復活するかもしれないから、こうやって掃除は毎日欠かさないのさ」

なるほど、そういうことだったのか。
それにしても、こんな田舎の空港にミャンマーからの直行便があったとは驚きだった。それだけ隣国との関係が深いのだと納得した。
当然、国境を越えたお姉ちゃんの行き来もあって、ビルマ族やタイヤイ族などの少数民族も多いということだろう。
こりゃあ、期待が持てるぞ。鼻歌交じりのままレンタカーを借りた僕は、まずは最初の訪問地「クラバークヤイ」を目指すことにした。
メーソート空港に到着すると生憎の豪雨。乗客は傘を借りて空港へ徒歩で向かう。因みに、この空港に就航している航空会社は現在ノックエアーのみ。(1日3便就航)

その巨木は、タクシンマハーラート国立公園の谷底にあった。
公園内を東西に突っ切る国道12号線から山道を徒歩で下ること約400メートル。一応、遊歩道っぽい道はあるのだけれど、手入れが全くなされていなくて、とにかく急。
ところどころでのり面も崩れ落ちていて、倒木が遮る区間がいくつもある悪路の連続だった。

グラバークヤイへの案内板
ここから険しい山道を下っていく
ジャングルのような獣道を突き進んでいく
階段も簡素な作り。小雨の影響でとても滑りやすかった。
倒木も撤去されずそのままで、まったく手入れされていなかった
巨漢の肥満体である僕は息も絶え絶え、一歩一歩と歩みを進めていく。わずかの行程が、途方もない距離に感じた。

最後の方は、両方の膝がガクガクと笑ってしまい、わずかの段差を降りるにも難儀するほど。

目の前に、なんてことのない立木を見つけては「これが目指す巨木か?これであってくれ〜!」なんて祈ったりもしていた。

この小川を渡った先に見える大きな木がクラバークヤイ

クラバークヤイの巨木は、タイで認定された国内最大の樹木。胴回り約16メートルは、彼の有名な鹿児島県屋久島の縄文杉とほぼ同じ。
高さは約50メートルと、あちらの約30メートルを大きく上回る。推定樹齢は約700年。4000年の縄文杉より高さで勝りながらも樹齢で大きく下回るのは、当地が熱帯のジャングルにあるからに他ならないからだろう。
そんな、思いを胸に抱きながら、僕はただただ圧巻の老木をひたすら見つめていた。膝の痛みは一時的に忘れていた。

谷底には小川が流れ、せせらぎがこだまする。そのすぐ脇で巨木は静かに時を刻んでいた。
現場はビルマとの国境近く。アユタヤ王朝、あるいはその前のスコータイ王朝期、タイあるいはビルマの兵士たちが戦闘のためにこのあたりを行軍したのかもしれない。
であれば、その様子をこの巨木はどのように見つめ、何を感じていたのだろうか。そんなことを一人で感じていたりした。

見学を終え、30分以上をかけてゆっくりと国道に戻った僕は、車の中で冷房をガンガンにかけて一休み。汗だくになった服を
着替えて少しだけ落ち着くと、次の目的地に向かった。この日、どうしても訪ねてみたいもう一つの遺跡が同じターク県内にあった。

木の化石が展示されている遺跡へ!

その遺跡は、巨木のある国道地点から車で約70キロほど北東に向かった、スコータイ県境にも近いバーンターク郡オーク村にあった。
あたりは見渡すばかりの痩せた大地で、静かに僕を待っていてくれた。商店や民家の一つも無い広大な土地に、ポツン、ポツンと距離を置いて遺跡が合計7つ。
雨だけがどうにか凌げるという粗末で簡易な屋根だけの、屋外展示施設だった。
遺跡の名はタイ語で「マイクライペンヒン遺跡」と言った。あえて和訳すれば、「岩になった木の遺跡」とでもなろうか。
展示してあるのはその名のとおり化石化した古代の巨木で、最も古くて80万年前の木の化石が合計7体、眠るように横たわっていた。

マイクライペンヒン遺跡のゲート横の看板
木の化石お触りエリアもあった。監視員はだれもいない。盗まれないのか疑問

長さは38.7m 幅1.5m だそう

乱している場所もあった。一帯が国立公園になっている。
1番遺跡の脇で、黒いフードをかぶったピンク色の帽子姿の女の子に出会った。名前はパイちゃん。15歳。
近くの高校に通う生徒さんで、ガイドと名乗っていた。毎週週末はボランティアとして、こうして課外活動に励んでいるのだという。
僕は彼女に頼んで、1番~3番までの遺跡のガイドをお願いした。快く彼女は応じてくれた。

木クズを寄せ集めて固めているようにしか見えない・・・
こちらはカメラが寄ったバージョン
ここに写っているのがパイちゃん
素朴な雰囲気がとても可愛らしい

「こちらが約12万年前の木の化石になります。高さは38.7メートル。幹の太さは約1.5メートル。マレーシアやインドネシアにも群生している種で、タイでは多く見られる樹木です」

よどみなく出てくる説明文は、きっと何回も繰り返し繰り返し覚えたものだろう。
それにしてもこんな辺境の遺跡を見に、一日にいったいどれほどの観光客が来るというのか。
今日だって僕が初めての来場者だと笑顔で言っていた。それでも毎週土日になると、決まってボランティアに訪れるという彼女。何だか愛おしくなって。わずかばかりだったけどチップを差し出した。素直に喜んでくれたのが嬉しかった。

ターク市街地の観光地を探訪する!

ミャンマーのミヤワディと接するターク県一帯は、ビルマ支配からの回復を実現したアユタヤ王朝のナレースワン大王(在位1590年~1605年)が
タイの独立を高らかに宣言した歴史の街。後にトンブリ王朝を起こしたタークシン大王が官吏時代にビルマと戦うために赴いたゆかりの地でもあった。
そのためだろうか。街の至るところで、タイの栄光を記した記念碑や神殿を目にすることができる。
タークシン大王廟。沢山の人々が参拝に訪れていた

チャオプラヤー川の支流の一つであるピン川の畔に建つタークシン大王神殿でも、多くの人々が熱心に線香を手向けていた。

また、県内には信仰心深い仏教徒が参拝に訪れる寺が少なくない。
その一つ、市街地からやや北に位置するプラボロムマタット寺は、参拝客が願いを込めて仏塔の周りをワイの姿勢で時計回りに回るという、一風変わった光景で知られる。
訪ねたその日も、大型観光バスを降りた多くの人々が願いを胸に仏塔回りをしていた。

好奇心の極めて強い天邪鬼の僕は、反時計回りに回るとどうなのだろうと試してみようとしたが、歩き出した途端に橙色の袈裟を着た若いお坊さんに
「これ、これ」とたしなめられた。

タークシン大王の銅像に熱心に参拝する高齢者たち
プラボロムマタット寺の仏塔周りの風景。若い女の子たち(学生)が真剣な表情で仏塔を周っていた
仏塔の正面
お寺の中には熱心に参拝する人々

ターク県での初日は、こんな感じで暮れていった。宿はピン川沿いに建つ、ちょっとレトロなシラヨック・グランド・ホテル。
可もなく不可もなく、まあまあ。それなりに清潔感のあるホテルだった。クラバークヤイの巨木、木の化石、プラボロムマタット寺・・・。

一日観光巡りをして、僕の身体は疲労困憊だった。ゆっくり休んで、明日からのお姉ちゃんとの戦いに挑むことにした。
(つづく)

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