タイガールとの束の間の出会いを求めてキモオタ肥満男がタイ全土を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は、前回から新シリーズのアーントーン・アユタヤ編。
アユタヤの北隣アーントーンの寺や史跡巡りを終えた僕は翌日、途中の名物パッタイ屋で昼飯を取った後、一路、アユタヤを目指した。
最終の目的地は、師匠からも繰り返し訪ねるよう念を押された古都に広がる「リトル・トーキヨー」
狭いエリアながらも、夜遅くまでネオンが輝く煌びやかな一帯だ。
初日とは打って変わっての欲望の旅。その結果は、如何に――。
アユタヤのリトル東京とはいかに?
初めての方もいるだろうから、まずは、「リトル・トーキヨー」の所在地からお伝えしなければならない。
現在のアユタヤ県中心部プラナコーンシーアユッタヤーが、中世のアユタヤ王朝(1351年~1767年)の首都だったことを知らない人は少ないだろう。
タイ正統史のスコータイ王朝に続く王朝で、ビルマからの独立を勝ち取った第21代国王ナレースワン大王が特に有名。
同大王は古代ムエタイの創始者ともされ、今でもムエタイ選手の憧れの的。50バーツ紙幣の裏側にも描かれており、タイ三大王の一人として人気も高い。
このうちの旧市街とは、チャオプラヤー、ロッブリー、パーサックの3本の川に囲まれた中州を指す。島全体が旧市街と言ってよい。
アユタヤ時代、川は敵の進撃を阻む防備の要だった。
一方で、これら水運を活用してポルトガルやオランダ、フランスなどのヨーロッパ諸国や中国、日本などと交易も行われていた。
当時の古都アユタヤは国際的にも稀に見る貿易都市でもあった。山田長政が仕えたのもアユタヤ王朝だった。
「リトル・トーキヨー」は旧市街から東側に約2キロ、ウタイ郡と接するプラナコーンシーアユッタヤーの東端にある。
国道309号線が右にカーブして500メートル先、左に折れる「ロジャナ通り」、ムアントン・ロジャナの一角だ。
まっすぐ約6キロ進んだ先にも「ソイ・ロジャナ」という通りがあるのだが、こちらは有名な「ロジャナ工業団地」の入口。
ただ、繁華街と言えば間違いなく前者。
僕は迷うことなく、エリア内一番のホテル「アユタヤ・グランド・ホテル」に部屋を取った。
ロジャナ通りは3階建てのタウンハウスが両側に300メートルほど先までずらりと並んでいた。
眼鏡屋や貴金属店、ナイトマーケット等のスペースも所々にあるが、奥に進むにつれカラオケ店やバーなどの飲食店が目立ってくる。
さらには怪しいマッサージ店や薬局もあって、明らかに夜の街だと感じることができる。ファラン(西洋人)が好きそうな昼から開いたバービアやミュージックパブもある。
僕は腹ごしらえが先だと考え、ホテルにチェックイン後、歩きやすい半ズボンとTシャツに着替え、街へと繰り出した。
外はまだ完全には暗闇に包まれてはいない。歩いてみて感じたのは、実に日本語の看板が多いこと。
めし屋、黒田、南国、秋、里空、山水流、雅、ありやま、まるやま…。ざっと数えても10は下らない。
このうちのいくつかは日本食店、いくつかはお持ち帰りのカラオケ店と見られたが、全てに足を運び確認するには疲れ果てていた。
そこで、ちょっと可愛らしいおばちゃんがいた「めし屋」という店に入ってみることにした。
そこは、普通の日本食店だった。
厚揚げとこんにゃく田楽、野菜炒めにビールを頼んだが、田楽の味噌がやや甘いことを除けば可もなく不可もなくといったところだった。
タイ人ママさんのジョイさんは勤続7年目。日本語にやや難はあるものの、特に困ったこともなかった。
ただ、インターネット回線の日本のテレビがあるだけの変哲もない定食屋。
時間を潰すことにも飽きて、僕は〆の素麺を腹に流し込むと、お姉ちゃんを求めて盛り上がり始めた夜の街へ出かけることにした。
腹も満たし夜の街の徘徊スタート!
最初に訪れたのは、ロジャナ通りのパクソイ近くから北に数十メートルばかり入ったところにある「The GRAND」という名の生バンド・レストランだった。
この日は日曜日。明日朝から仕事や学校の人もいるだろうというのに、多くの若者客でごった返していた。僕はステージからやや離れた4人掛けのテーブル席に就くと、ウェートレスにLEOビールを注文して、辺りの物色を始めた。
向こうの空いたテーブルに手持ち無沙汰にしている様子の女の子の二人連れが見えた。
ちょうど陰になっていて、表情をうかがい知ることはできなかったが、身振り手振りで明るい感じの二人だと分かった。
そこで呼び寄せてみると、なんと二人とも地元の現役の女子大生。
週に2、3日ここで接客のアルバイトしているのだという。
バイト料は何に使うの?と尋ねると、ファッションと異口同音の答え。今時の子だなと思った。
二人はお腹が空いているという。「ご飯食べる?」と聞くと、恥ずかしそうに「うん」と首を縦に振った。
注文したのは、一人が野菜炒め(パットパック)に、もう一人がガパオムーサップ。遠慮しているのか「それで十分」と話した。
飲み物は、僕のビール瓶から小分けして飲んでいた。
そのうちに、ふと彼女たちの会話が耳に入った。
「あの子は私と同じ400、あの子は500なんだって!」
仕切りに指をさして話している。
何のことだと思って尋ねてみると、なんと豊胸に見せるために乳房の中に注入したシリコンの量なのだとか。
なるほど二人とも確かに違和感のあるふくよかな胸をしている。思い切って「どれくらい入れたの?」と聞いてみた。
正面に座っていたケイト(21)は「私は400ccよ」と笑顔で答えてくれた。
愛くるしい表情に黒のロングヘアが美しいが、後ろを向くと背中全面に見事なタトゥー。
へぇ、タイの女子大生はすごいやと思った。
一方、隣に座ったエービー(20)は「私は450ccよ」と勝ち誇るように話した。
背中にタトゥーはなかったが、確かに胸は奇妙な形で出っ張っていた。その差はわずか50cc。
僕はまじまじと見比べてみたが、微妙な違いにこだわる乙女心がよく分からなかった。
その時だった。エービーが声を高くして言った。
「見て!あの子よ、あの子。600だって!」
言われるがままに目を向けると、スラリとスレンダーなベージュのワンピースを着た美形の女の子が目の前を通り過ぎようとしている。
600ccともなると、確かにデカい。しかし、デカいのはいいが、異様な形状をしている。
まるで棒倒しの棒が横向きに向きを変えたか、海岸の岩場に必死にしがみつくアワビかトコブシのようでもあった。
前につんのめって倒れたら、二点倒立ができそうな不思議な感覚にも囚われた。男の性的要求とは無縁の異次元とも言える過酷なレース。
美を求める女性はつくづく逞しいと思った。
シリコンと別れ30女が集うバーへ!
昔何かのハードボイルド小説で読んだ「ロケットおっぱい」に見飽きた僕は、次の店へと向かうことにした。
モグラ叩きのような突起物はもう懲り懲り、食傷気味だった。
ブラブラと歩いていると、ふと、一軒の小さなバーに目が向いた。看板には「Sexy Cow Girl」とある。
牧場で働くセクシーな女性とは場違いで気に入った。
ボックス席が一つだけの店のカウンター席に座ると、腹にたまったビールに代えてジャックダニエル・ソーダを注文した。
「いらっしゃいませ」とお相手してくれたのは、バニーガール姿のキッキ。
年齢はいくら聞いても非公開だった。
それでも「お客さん初めて?」「どこから来たの?」などと盛んに聞いてくる。だが、残念ながらお世辞にも色気はほとんど感じなかった。
店内にはほかに30歳代後半と見られるスレンダーのママさんと後でカウンターに入ることになるボーイッシュなノーイ。
こちらは30歳代前半と試算した。何事もない夜がしばらく続いた。
そのうちに、常連らしい初老のファラン3人連れがやって来た。
驚いたことに3人はビールの小瓶を注文すると、グルリとカウンターに背を向け、路地を挟んで向こう側にあるミュージックバーの生演奏を楽しんでいる。
なるほど、合点がいった。向かいのバーは演奏代が込みのためドリンク代が高く、ケチなファランはこうして飲み代を節約しようとしているのだった。
「ファランはケチ」とは誰かが言っていたが、アユタヤでもそれを感じられるとはラッキーだった。
差別主義者の僕は、密かな優越感と満足感を覚え、一人ほくそ笑んでいた。
酔った僕の前に最高の美魔女あらわる!
ほどよく酔った僕はカウンターバーを会計すると、千鳥足でホテルへと足を進めようとしていた。
「今日は打ち止め!」
疲れもあって、そう自分に言い聞かせようとしていた。
ところが、ちょうどその時だった。向かい側のマッサージ店のドア越しに、これ以上はないという美形がいるのを目撃してしまったのだ。
しかも、次の瞬間にはおもむろに目が合っていた。
瞬く間に上気した僕は、モーターサイがクラクションを鳴らすことにも気がつかずに通りを駆け足で横断、その店を目指した。
こぢんまりとしたその店は、間口が一軒だけの狭い造り。おばちゃんのマッサージ嬢が3人だけの小さな店だった。
目撃した女性は、この店のママさんでジェーンといった。
年齢は30歳半ばと見られたが、この上ない美しさと気品の高さに、僕はすっかり虜となっていた。
「このママさんと朝までいたい」
本気でそう思っていた。(つづく)
寺にある名物パッタイ料理
タイ料理と言えば、トムヤムクンにガイヤーンなどが有名だが、タイの焼きそば「パッタイ」も欠かすことができないイチ押しメニュー。
その昔、ラーマ5世が貧困や飢えの対策として考案したという大衆料理。今ではタイの名物料理として地域性も相まって多くの人々や観光客がその味覚を楽しんでいる。
「アーントーンには、バンコクでは見られない名物パッタイがある」。そんな情報をつかんだのは、アーントーンで寺の見学をしている時だった。
通行人や住職、モタサイの運ちゃんたちに聞き回ったところ、どうやらその店は、さる寺の境内に隣接した場所にあるという。
目立った看板もなく、知らなければたどり着くことのできない幻の店だとか。いても立ってもいられなくなり、僕が向かったのは言うまでもない。
確かに、目立たない場所だった。というより、見落として当たり前。地元の人に尋ねなければ絶対に到達不能なところに店はあった。
「ワット・トーン・コーン」という寺の奥隣。民家に隣接したオープンスペースの場所にテーブルが並んでいた。
「何にしますか」と店員の女性。普通にパッタイを頼み辺りを見回すと、小学生ぐらいの子供の姿も。どうやら一家で店を営んでいるようだ。
出てきた料理は、一目して巨漢の僕には量が足りなかった。ただ、味は抜群。さすがに評判になるほど美味かった。
二皿、三皿とお代わりしたのは無理もなかった。付け合わせに食べたクイティアオのバミー・ナームも最高だった。
リトル・トーキョー外れにあるローカルディスコ
リトル・トーキヨーのあるロジャナ通りは、飲食店などが建ち並ぶ奥行きがせいぜい300メートルの小さなエリア。
その先にも道路は延びているが、空き地や洗車場、民家があって、旅行客はほとんど足を運ばない。
ところが、そんな場所の奥深くに、水商売を終えたお姉ちゃんたちが車で通うローカルディスコがある。
パクソイ(通りの入口)から600メートルほど進み、左手に折れた約50メートル先の空き地にそのディスコはある。
店名の「ナムナム・カーウトムトールング」とはあえて意訳すれば、「明け方に挑戦するカウトム(タイの雑炊)の店ナムナム」というところか。
小腹の空いた男女が夜な夜な食事をしながら、踊りを楽しむというのが店のコンセプトのようだ。
店内の中央部にはDJのブース。ぐるりとコの字型に取り囲むように、客席のテーブルが並べられている。わずかに天井だけが
ある吹きさらしのオープンスペース。乾季の涼しい季節なら最高だが、雨季を考えると、ちょっと敬遠してしまうかもしれない造りとなっている。
敷地の周囲は広い緑で覆われ民家などはまばら。こうした立地が明け方まで大音量で野外ディスコができる背景となっている。
とはいえ、日本はおろか、バンコクでもあまり見ない青空ディスコ。どこかの店のお姉ちゃんと懇意になって、一度、試してみるのも面白いかも。