チェンマイ県 (下):早撃二郎のタイ77県珍紀行

可憐なタイガールとの眩いばかりの出会いを求めて
キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は北部チェンマイ県編の最終回。
そして今回が3年超にわたった長期連載企画「早撃二郎のタイ77県珍紀行」の最終回でもある。

前回お知らせしたように、師匠からの〝帰国命令〟を受けた僕は、泣く泣くタイを後にすることに。
もう、お姉ちゃんを追いかけることもできないのかと思うと、寂しさと心残りで胸が痛くなる。
思い起こせば、日本の1.3倍もあるだだっ広いタイの国土を縦横無尽にあちこちと実によく駆け巡ったものだ。
ガッツと根性でほとんど知られていない穴場も見つけた。
辺境の置屋では、日本人夫と死に別れたおばちゃんの身の上話を聞いた。
国境に近い場末のバーでは、ママに妙に気に入られてヌード動画を送られたことも。

毎回毎回が達成感と満足感で常にいっぱいだった。人がとても温かかった。
それが、いつも次の旅の原動力となった。もちろん、読者の皆さんの支えがあってからこそ。
読んでくれてありがとう。少しは役には立っただろうか。
名残惜しさはいつまでも尽きないが、センチメンタルになってばかりでもいられない。
それでは、最後の最後の珍紀行のスタート。

チェンマイ産の伝統傘の工房を見学

チェンマイ2日目に僕がまず向かったのは、当地に伝わる伝統の唐傘を製造販売しているというボーサーン村。
市中心部からタクシーで20分ほどの場所にある観光地だ。
ここにある「唐傘工房」が今回のお目当て。開場時間は午前8時15分から夕方5時までだ。

場内のあちこちに、村で作られたという唐傘が展示してある。
大、中、小。そして、赤、黄、青。さらには、龍、鳥、花。大きさ、色彩、紋様は実にさまざまだ。
土産物として購入もできるし、自分だけのオーダーメイドを注文することもできる。
骨組みとなる竹に紙や布を張っただけというシンプルな造りが、逆に観光客の関心を集めている。
※「唐傘工房」外観

※幾何学模様が目を引く美しい唐傘

※傘工房に併設しているお土産店。広大な店内には色々なサイズ・模様の唐傘が陳列されている

ボーサーン村の唐傘作りは、確認されているだけでも200年以上前に誕生した伝統産業。
言い伝えによると、村の修行僧がビルマ(現ミャンマー)を訪れた際に傘作りのノウハウを得て帰国。
村人に伝えたのが始まりとか。

以来、村では家庭ごとに個性ある唐傘を生産するようになった。
1941年には組合を設立し、伝統産業としての保護にも努めている。
村には組合が運営する売店もあるほか、生産工程をオープンにした工房での見学も受け付けている。
ちょっくら、覗いてみることにした。
※傘作りのノウハウをビルマから持ち帰った僧侶の像

工房は売店の奥にあった。
おばちゃんたちがめいめいの作業場に腰を掛け、まずは青竹をそれぞれの部品に合うよう器用に切り削っていく。
例えば、柄の部分、傘の開く部分、そして骨組みだ。
加工しやすいように、竹の表皮を剥ぐことも忘れない。
削り取られた竹は、まるで広葉樹の木材のように白い肌を露わにする。
竹がこんなに艶っぽいとは知らなかった。
※手製の金鋸で竹を切り分ける

※手製のナイフで竹の皮をはぐ

※この部品が唐傘の骨組みとなる

部品と部品は、木綿の糸を使って固くつなぎ合わせていく。
こうすることで柄と傘の開く部分が固定され、竹串が綺麗に円形に広がったような骨組みができあがる。
人体標本にも似た、唐傘の骨格標本とでも言えば通りが良いか。ここまで来れば、7割ほどは完成だ。
※部品を組み合わせ唐傘の中心部分を作る

※唐傘の開閉部分に糸を通す

※紙を貼る前の唐傘の骨組み

骨組みができあがった後は、花嫁前のお召し物が必要だ。
それは、特別に漉いて作られた紙であったり、この地方で織られた布であったり。
放射状に伸びた骨組みに、おばちゃんたちが一本一本慎重に接着剤を塗布していく。
こうして、わずかな弛みや皺もなく見事なまでに張り詰められた唐傘は、伝統工芸品としてお目見えされるのであった。
※骨組みに紙を貼る作業

※傘の縁に飾りをつけていく

※完成した唐傘は工房の隅で乾かされていた

工房で作業をしていた70歳代の女性に話を聞いた。

「いつごろからこの仕事をしているかって?
そうねえ、私の父母がしていたのを私が継いだから
少なくとも159年以上前にはあったんじゃないかしら」

伝統がもたらす価値の大切さを改めて学んだ思いがした。

チェンマイ一有名なカオソーイ実食

午前中から午後にかけて唐傘工房で過ごした僕は、ふと腹が減っていることに気づいた。
そういえば、朝からコーヒーを1杯飲んだだけだった。
巨漢の身体にとって、三度のメシは日々の活動やおねえちゃんを口説くための重要なエネルギー補給源。
どこで食べようかと考えていたところ、以前、師匠から教えてもらったチェンマイ一の著名なカオソーイ屋があるのを思い出した。

それは「ラカオソーイ・ラムドゥアン」という店だった。
チェンマイ市内に3店舗を構える老舗カオソーイ屋で、その中からチャオプラヤー川の主要な支流の一つピン川沿いにある本店に向かうことにした。
川沿いを平行して走るチャルーン・ラット通りにあった。
※「ラカオソーイ・ラムドゥアン」外観

店に着いたのは、午後3時を過ぎた遅い昼飯時だった。昼食時間帯はとうに過ぎていて、客は僕の他に1組だけ。
全体を見回せる少し奥の席に着いた僕は、コーラを注文したうえで店員にメニューの中身について尋ねた。

この店のカオソーイのメニューは、次の4種類。

①カオソーイ・ガイ(鶏肉入り)
②カオソーイ・ムー(豚肉入り)
③カオソーイ・ヌア(牛肉入り)
④カオソーイ・スペアリブ。

店員はしきりとカオソーイ・スペアリブを勧めてくる。
だが、味を知るのはベーシックに限ると言うのが僕の基本的な考え方。
迷わず、カオソーイ・ガイを頼んで待つことにした。もちろん、大盛り(ピセー)にすることは忘れなかった。

10分ほどして出てきたカオソイ・ガイは実にみずみずしかった。
食欲をそそるターメリックの黄金の色。麺の隙間から顔を出す鶏肉は、成長したばかりの若鶏のはじけるような筋肉そのものだった。
付け合わせは、タイの漬物で知られる「パック・カ・ドーン」、それに豆紫タマネギとして知られる「ホーム・デーン」、それにライムだ。
甘みを抑えたキレのあるピリ辛味。ココナッツミルクも少なめで、カレー風味がよく利いている。

麺はほどよく縮れていて、スープとしっかりと絡み合う。
鶏肉もホロっと口の中でとろける柔らかさで十分に美味しかった。
最後の麺1片、最後のスープ1滴まで飲み干した。これで60バーツとは、コスパは最高だ。
バンコクでもこれほどのカオソーイにはなかなか出会えない。
味にアクセントを付けたいという人には、付け合わせと交互に食べることをお勧めしたい。
もちろん、この後、何杯もおかわりしたのは言うまでもないだろう。
※カオソーイ・ガイと付け合わせのパッカ・ドーンとホーム・デーン

夜のチェンマイの遊び場とは?

お腹がすっかり膨れた僕は、ホテルで束の間の休憩を取った後、夜の街へと繰り出すことにした。
まずは、風俗の帝王マッサージパーラー(MP)
市中心部から10分ほど郊外に行ったところにある「パンドラ」に向かった。
午後4時すぎに到着したが、夜はまだこれからといった感じ。
やる気のないコンチアが顎でしゃくって店内に案内した。

雛壇には11人の女の子。バッジの色で料金が分かれていて、赤が2500バーツ、黄が2700バーツ。
赤は見るばかりのおばちゃんで、中には僕と胴回りが同じようなお姉さんも。
黄も年齢は若干若くなるも、ちょっと、今から遊ぼうという気持ちにはなれなかった。
店内はかび臭く、照明も暗め。

〝終わったMP〟

というのは正直な印象だった。
それでも、20時ごろが女の子の出勤ピークなのだと話していた。
※「パンドラ」外観

次に向かったのが、チェンマイで最も有名なMP「サユリ・コンプレックス」
総合エンターテインメント場と謳っているだけに、外装もなかなかで、店内も入って左手がレストラン、右側がMPと厳然と分かれている。
MP側は手前に大型の雛壇、奥がサイドラインとなっている。

まずは雛壇からと足を運んだところ、コンチアから雛壇の向かって右側が赤バッジで1200バーツ、左側が赤バッジMで1500バーツだと説明があった。
赤は40歳代と思われるおばちゃんばかりだったが、赤Mは20代後半~30歳代半ばの顔ぶれ。十分遊んでいけると思った。
※「サユリ・コンプレックス」

圧巻だったのは、その後に向かったサイドラインだ。全員が20歳代前半と見られ、色白、細身、高身長、美形の女の子ばかり。
驚くべきは、これで2000バーツという値段。「本当?」と思わず口に出たほどだ。

このため、客席は10席ほどと狭かったが、常に満席の状態で、男どもがあれやこれやと品定めをしながら酒を飲んでいる。
コンチアにやる気がなかったのが、唯一の欠点だった。

もう一つ、MPに足を伸ばしてみた。市街地にある「セレブ」という店。
訪ねたのは午後9時と遅め。このため、女の子も連れ出されたばかりと見られ
22000バーツの赤バッジが2人、1900バーツの青バッジが6人だけだった。
赤は20歳代もいたが、青は総じて30歳代以上と見られた。

※青バッジの女の子たち。一番手前の子はなかなか可愛いと思う
※赤バッジの女の子たち

ビールを飲みながらMPめぐりをしたので、僕もほどよく酔っ払っていた。
最後の最後に向かったのは、チェンマイの風俗で知る人なら知るザ・置屋だ。
旧市街からチャングラック通りを北上し、チャングプアック・ソイ4を左折した500メートルほどの先の辺り。
2軒並んでいるおんぼろ長屋がそれだ。
※「置屋」外観。手前のピンクの建物が置屋1。奥にうっすら見える青い建物が置屋2となっている

※置屋1店内。若くて可愛い女の子が多かった。20人ほどの女の子がソファに座ってスマホをいじっていた

オーナーは同一で営業時間は午後8時から朝5時まで。
怪しいピンクと緑の照明に、やることのない暇そうな呼び込みの男が外にいるので、すぐに分かる。
まずは向かって左の店に入ると、15人ほどの女の子。
容姿と年齢によって細かく値段が設定されていて、30歳以上が680バーツ、20歳代後半が780バーツ、同後半が880バーツとなる。
※お店のシステムを説明してくれた置屋の女の子。この子でも全然遊べるレベル

20歳代の女の子はいずれも遊んでいけそうな感じで、なかには手を振って愛嬌を振りまいてくる子も。
すっかり酔っ払った僕も手を振ってそれに答えた。
コンチアに聞くと、近くのホテルに向かう形式らしく、時間はせいぜい30分。
値段からして、それ相応のシステムだとおもった。向かって右側の店もシステムも全く同じ。女の子は10人ほどがいた。
※置屋1店内。青い服の金髪の女の子が日本人好みの顔をしていた。遊んでも良かったな~

※置屋2の女の子たち。こちらは置屋1とはうって変わって厳しめのお顔の子が多かった

※全ての調査を終えて向かったのはバービア街。この企画を振り返りながらしっぽりと最後の夜を楽しんだ

こうして暮れていったチェンマイ最後の晩。
そして「早撃二郎のタイ77県珍紀行」最後の晩。
連載打ち切りとなるのは、本当に忍びない。
無念の一言。
それでも、少しでもなにがしかの情報発信ができたのならば、それでよしとしようとも思う。
「取材費もらって風俗遊びしている」などと心ない人から真実でない誹謗中小も受けたが
そのことももはや気にしない。今はただ、達成感だけに酔いしれて静かに筆を置きたい。(おわり)