ラチャブリー・サムットソンクラーム・サムットサーコーン県 (下):早撃二郎のタイ77県珍紀行

はにかむ笑顔の魅力的なタイガールとの心ときめく出会いを求めて
キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は
バンコク西郊ラチャブリー、サムットソンクラーム、サムットサーコーン県編のいよいよ最終回。
前2回では鄙びたローカル置屋と場末のカラオケ置屋のお姉さんたちとめぐり会い
しばしの歓談を楽しんだものの、ふんだんな酒と濃厚な色気に蹴落とされ何事もなくホテルへと帰る結末となった。
さて、最終回はどんな展開が待っているのか。
旅程最終日の夜明け前、著名な漁港のあるサムットサーコーン県マハーチャイに向け一人ハンドルを握った。

サムットサーコーン県の有名漁港へ

マハーチャイと言えば、ターチン川河口に近いマハーチャイ漁港で有名な場所だ。
タイ湾奥部では有数の水揚げを誇る良港で、近くには水産加工工場などもひしめき合う。
日本のおでんに欠かせない紀文などの工場も近くにあって、練り物などを生産出荷している。
どこか、親しみのある街と言ってよい。

漁港まではあっという間だった。早朝5時、護岸近くに車を停めて辺りを散策する。
場外市場では店開きが始まっていて、バンコクから来たのであろう買い付け人がさっそく品定めをしている。
だが、街そのものに元気がない。人影も、照明も、店頭の品々も、どこか寂しい。
気になって、漁船が接岸する水揚場に向かってみることにした。
※営業停止中の水揚場

いつもは競りで活気のあるその場所は、がらーんと静まりかえっていた。
鮮魚を収納する赤や青色のプラスチックのトレーも積まれたままだ。
船から魚を水揚げする時に使う鉄製の滑車もさび付いていて、何ヶ月も使っていないようだ。
近くにいた漁師のおっちゃんに聞いてみると、かれこれもう3~4ヶ月も漁は行われていないという。
いや、正確に言えば、タイ湾での漁船の操業はあっても、ここマハーチャイ漁港から出港する船はないということだった。

理由を知りたくなって、さらに、おっちゃんに聞いた。

「人だよ。人手が足りねえんだ」

以前は、ミャンマー人を中心に大量の安価な労働者がマハーチャイに集まり、貴重な水産労働者として働いていた。
ところが5年前から始まった軍政の方針で、ビザの支給を受けるなど適正な手続きを経ていない労働者は摘発の対象となり
強制送還が行われたのだとか。
監視の目をくぐって就労を続けると最終的には身柄を拘束されて監獄送りとなるため
ミャンマーやカンボジアからの労働者そのものが港から離れてしまったのだという。

※水揚場の外にはさび付いた鉄製の滑車が無防備に放置されていた
※出向を待ちながら停泊する漁船

タイ人も嫌うという重労働の水産労働者が集まらなければ、船は出せない。
説明をしてくれたおっちゃんは、深く煙草の火をくゆらすと

「このまま再開できねえかもしれんな」

と低く呟いた。
漁師になって数十年。
こんな日が来るとは思ってもみなかったという表情を浮かべて、いつまでも宙を見つめていた。

となると、場外市場で売られている魚やイカはどこで水揚げされたのかと疑問が沸く。
その点について売り子のおばちゃんたちに聞きに行くと

「バンコクよ」

とあっさり返事が返ってきた。

ほかに、バンコク東部チョンブリー県シーラチャーや、マハーチャイ西方のペチャブリー県が産地らしい。
これらの漁港で水揚げされた水産物が、陸路トラックで毎日マハーチャイに運ばれ、店頭販売されているのだった。

あまりに気になったので

「バンコクから来るお客さんは、マハーチャイで買う魚がバンコク産だと知っているの?」

と尋ねてみた。
ところが、全く関心がない様子で

「さあ、どうかねえ」

とおばちゃんは涼しい顔。

「私らには、そんなことは分からない。
でもね、バンコクから運んでくるとなると、どうしても鮮度は落ちてしまうね。
このイカを見てよ。眼が死んでいるでしょ。
ここで水揚げされたイカはもっと眼が生き生きとしているんだよ」

と話していた。

いつまでこんな状態が続くのかも聞いてみたくもなったが、あえて、それだけは止めた。
2014年の軍事クーデターから5年。
新憲法が施行され総選挙が実施、民政復帰となっても、日常の暮らしぶりに変化があるわけでもない。
騒いでみたところで、ミャンマー人らの水産労働者が戻ってくるとの保証も展望もない。
一介の旅行者が、漁港で働く人々の生活を口にするには重すぎた。丁重に礼を言ってその場を後にした。
※別の漁港で水揚げされた烏賊が並ぶ

※海老を購入するお客さん
※蟹も別の漁港からトラックで輸送されてきたものだ

ベンジャロン焼きの工房を鑑賞する

近くで朝飯を済ませ、次に向かったのが、タイ王室御用達の焼き物で知られる「ベンジャロン焼き」の工房が集まる「ドンカイディー村」だった。
マハーチャイ漁港からほぼ真北に10数キロ。ハイウェイ3190号線の南側手前、テスタボーン4通りを入ったところにあった。
バンコク西端ノーンケーム区からも目と鼻の先の距離。
住宅街の路地を入ったような一角に、工房の集まるエリアがあった。

車一台しか通れないような細い路地の両側壁面には、カラフルな装飾絵が施されている。
思わず手にしてしまいそうな植木鉢の花の絵。今にも漕ぎ出しそうな自転車。
床面には、正方形のタイルが一面に敷き詰めてある。
この道を進んだ先にある猫の額ほどの土地に5軒の工房があるのだと、壁面の案内画が教えてくれた。

観光客に装飾を教えるサービスは、この日は行われていなかった。
代わりに工房内を見せてもらい、その伝統の技を堪能した。小指の爪ほどの小さなスペースに絵筆で綺麗に着色を繰り返していく。
1日数百個、多い時は1千個にも。気の遠くなるような作業にも、よどむような重さは感じられなかった。

※壁には各工房の位置を記した地図が描かれている
※この細い路地を入っていくとドンカイディー村となる

※壺やカップなどに器用に色付けしていく職人たち

※壺に絵柄の下書きをする男性の職人
※女性の職人は器用にカップに色付けしていく

作業をしている人たちに話を聞いてみた。この道10年、20年とベテラン揃い。
跡継ぎとなるのであろうか、2つ、3つの子供を順番にあやしながら、淡々と作業をこなしていた。

「これが私たちの仕事なの。王室に納められるなんて名誉なことよ」

とそのうちの一人が笑顔で話していた。
※ギャラリーの最奥部にあった気品あるベンジャロン焼き。王室に献上しているものらしい。

※タイ伝統の絵柄を描いた大皿。観賞用として購入するのもいいだろう
※各セットで揃えるのもコレクターにはたまらないだろう
※オシャレなティーカップセット
※様々な色や形のカップ。陽があたるとキラキラ輝く

塩田で伝統の塩作りを見学する

工房見学を終えた僕には、もう一つ訪ねてみたい場所があった。
マハーチャイのあるサムットサーコーン県や西隣のサムットソンクラーム県は、タイでは有数の天日塩の産地。
乾季が長く続き、雨季入り後も雨の少ない今年は、7月になっても製塩作業が続けられているとニュースで知っていた。
それを自分の目で見てみようと考えたのだ。

サムットサーコーン県にある「バンヤー製塩農場」はマハーチャイ漁港から南の海岸線に近い平原にあった。
近くを流れるターチン側とタイ湾の海水が混じり合う汽水域。
土壌で濾過されたミネラル豊富な塩水が地表から湧き出るあたりに塩田が広がっている。

塩田1区画が4~4.5ライ(1ライ=1600平方メートル)ほどもある広大な土地。
ここで製塩農家の人々はほぼ手作業で塩作りを続けていた。
足で漕ぐことで水を攪拌させる自転車のような機械、野球のトンボに似た長さ4メートルはあろうかという農具。
19世紀までには始まっていたとされる伝統の技には、伝統の農機具がとてもよく似合っていた。
※塩田に集められた三角錐の塩の山

農家はここで2~3ヵ月かけて繰り返し塩を作る。
乾季に入る毎年11月ごろからがシーズンで、だいたいが翌年5月には収穫期を終える。
三角錐の形状の塩の山は3月か4月ごろが最も多く、観光としては見頃だとか。
採れた塩を使ったシャンプーや石鹸などの商品も開発されており、近くの専売所で売られていた。
※農機具で塩を集める農夫たち

※専売所で販売されていた岩塩。えぐみがなくミネラルたっぷりの美味しい塩だ
※水を攪拌させる自転車のような機械

マハーチャイのギヌロン置屋に突撃

さあて、いよいよお待たせの夜がめぐってきた。
明日の昼前にはここを経ってバンコクに戻らなくてはならない。
トライするのは今夜の一夜のみ。
僕はミッションを達成しなければならないという使命感と
女の子の肌にそろそろ巡り会いたいという混じり合った思いで夜のマハーチャイに繰り出すことにした。

人口20万人ほどと地方都市並みの規模を誇るマハーチャイだが
前述のような水産が中心の街で、ほかに大きな産業はない。
そのため、風俗の王道と言えたバンコクやパタヤにあるMPやゴーゴーバーといった施設はない。
地元のバイタク(モーターサイ)の運転手に聞くと、バービアさえないという状態だった。
ただ、地方の田舎にとっては根強い伝統風俗である「置屋」がここには今も渾然と存在する。
タイ語で「ソン」というその場所を僕は目指した。

そこは、マハーチャイの中心部に位置するマハーチャイ病院の裏手に広がっていた。
※ギヌロン通り。通りの中ほどから置屋が軒を連ねる

通りの名は「ギヌロン通り」。通の間では一帯は「ギヌロン置屋」と呼ばれていた。
ほとんどが平屋かせいぜい2階建ての木造建物。通りの両側に総計10軒ほどの置屋が広がり
ビールなどを売る雑貨店や廃屋がその間を埋め尽くしていた。

時刻は午後9時すぎ。病院側の端から薄暗く照らされた通りをゆっくりと一人で歩いた。
さっそくカモを見つけたと思ったのか、通りの両側から呼び込みのおばちゃんたちが出てきて声を響かせる。
少し灯りがあるところで立ち止まり、手招きすると

「いい娘いるよ。サービスいいよ」

と常套句。
そんな手には簡単に乗れないと、料金や時間のほか部屋はどこにあるのかなどのシステムを把握するところからまずは始めることにした。

ほぼどの店も仕組みは共通だった。
※大抵の置屋は選ぶにはちょっと厳しいレベル

お相手の女の子によって値段が変わる。時間は一律90分。
一番安いのは350バーツからで、以後、450、550バーツと100バーツ刻みとなっていた。
最も高いランクが660バーツで、おばちゃんはVIPクラスだと胸を張っていた。
言ったとおりなら、これまで回ったタイ全土の置屋の中でも、かなりリーズナブルな部類に位置すると思った。
ただ、どの店にもいた350ないし450バーツのお姉ちゃんにはいずれも度肝を抜かされた。
身体の幅は1.5人前もあり、二重顎に塗り壁並みの厚化粧だった。
※この子は可愛かった。僕を中国人と間違えて中国語で話しかけられた
※おばさんばかりの置屋。入口手前にはヤリ手の客引きおばちゃんが待機

それでも、まだ宵の口。
とりあえずは全店を見てから決めようと、僕は通りの最奥部まで歩みを進めることにした。
すると、前方左側、少し明るいピンク色の建物の前に一人の若い感じの女の子が座っているのに気づいた。
影にはなっているが、スレンダーで今風の出で立ちだ。僕ははやる気持ちを抑えて、その店を目指した。
眼が合ったその娘は「ソム」と名乗った。ルックスも好みだった。
※ソムちゃん

ピンク色をしたその店も朽ちかけた民家のような平屋の造りだった。
酒を飲んで話のできるような場所はどこにもない。
そこで僕は、ソムを向かいのバービア風の店に連れ出すと、ビールを注文して会話を楽しむことにした。
もちろん、その後は指名するつもりだった。

ソムはチェンライ県出身の31歳。
20歳代のころは、プーケットのゴーゴーバーで踊っていたといい、簡単な日本語が話せた。
4年前に一人息子が生まれてからは、生活費を得るために地方を転々とする生活で、マハーチャイにも友達の紹介で1週間前に来たばかりと話していた。
ここで金を貯め、台湾で仕事をするつもりらしい。若いながらも芯を感じることができた。

そろそろ、いい時間だ。
ビールをしこたま飲んだ僕がソムに視線を向けると、彼女も理解した風で静かに席を立った。
さあ、待ちに待ったアバンチュール。
僕はボロボロの建屋に中に、ソムと二人で消えて行った。
※ソムちゃんと部屋へ移動。この暗い感じが情欲を掻き立てて来る

※部屋はご覧の通りのピンク一色。布団が若干湿っていたのは気になったが気持ちよく逝かせて頂きました
※置屋内部。細い通路の左右に2畳ほどの部屋が10部屋ほど並ぶ