ターク県 (下):早撃二郎のタイ77県珍紀行

素敵なタイの女の子との出会いを求めて、キモオタ肥満男がタイの全県を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」。今回は北部「ターク編」の最終回。
ミャンマーとの国境の街メーソートの置屋で見つけたえくぼの可愛いタイヤイ族の女の子、ラディーと一夜を過ごした僕は、ホテルの部屋に差し込むまばゆい朝陽と、騒がしいまでの鳥のさえずりで目を覚ました。横に目をやるがラディーはもういない。明け方までにはここを出て行ったようだ。バスタオルが綺麗に折りたたまれ、椅子に掛けてあった。

上体を起こして15分はボーッとしていただろうか。そこへ携帯電話が電子音を立てて震えた。
LINEの受信だ。画面を見ると、えくぼの笑顔のアイコン。ロックを解除し音声メッセージをタップする。

「おはよう。よく眠れた?」

と彼女の可愛い声が流れてきた。早速、返信のための録音を始める。

「夕べは最高だった。また、会おう」

操作を終えてテーブルに置くと、僕は勢いよく立ち上がってシャワーを浴びた。

隣国ミャンマーのミャワディーへ

今日の目的地は隣国ミャンマー。ミヤワディーという名の国境のすぐ向こうにある小さな街だ。
「メーソートからビルマ(ミャンマー)へ陸路で入った国境の街には、タイの男たちが橋を渡って遊びに来るローカルの置屋がありますよぉー」
数ヶ月前に聞いた師匠のお告げを確かめてみたいという気持ちがあった。

これまで、ルーイ、ダンノック(ソンクラー)、カンチャナブリー、プーケットなど師匠の足跡を訪ねるタイ国境県の置屋めぐりをしてきたが、西の端にあたるこの場所も欠かすことのできない重要なポイントだと思っていた。
荷造りを終えてホテルをチェックアウトすると、僕は借りていたレンタカーに乗り込んで西を目指した。陽はすっかり高くなっていた。

左手にメーソートの空港施設を見て、4キロ近くは走ったろうか。一本道の向こうにイミグレーション(入国管理局)と思われる建造物が見えてきた。
道路をまたぐように建てられた巨大なゲート。ソンクラーのダンノックやチェンライのメーサイで見た建物ともどこか似ていなくもない。
僕はゲートの500メートルほど手前の路肩に車を止めると、ゆっくりと確かめるように歩いていった。

※メーソート(タイ)側イミグレーション
※右側がタイ出国窓口。左側が入国窓口になっている。

まずは、タイ側の出国窓口に向かった。応対してくれた担当官は、地元の人らしく人なつっこい笑みを浮かべている。

「ミャンマーに日帰りしたいんだけど、できるよね?」

そう尋ねると、「ワンデイ観光だな。ダイ、ダイ(できるとも)」と親指を立ててウインクしてくれた。

「ミャンマーに日帰りしたいんだけど、できるよね?」

「この先のミャンマー側入国窓口で500バーツ払いな。ビザは要らないよ」
(注:現在、日本人はノービザなので500バーツは不要の可能性あり)

再入国が心配だったので、ミャンマーからタイに戻ってくる際の再入国許可についても聞いてみた。
すると、担当官は僕のパスポートを開いて
「おっ、リエントリー(再入国許可)あるんだな。じゃあ大丈夫だ」と太鼓判を押してくれた。

この日のために僕は、バンコクのイミグレでシングルの再入国許可を申請・取得しておいた。
1000バーツもしたが、準備しておいて間違いはなかった。

タイ側のイミグレを過ぎると、目の前にはミャンマーに向かう1本の橋があるばかり。
それも300メートルばかり緩やかに上ると、そこが国境線となっていた。ここで、左側通行の車の車線も右側通行へと入れ替わる。
ともすれば事故を引き起こしそうな交通規制が、橋の頂上部で行われていることが不思議でならなかった。

国境を越えてミャンマーに初上陸

ミャンマー側に足を一歩踏み出すと、一気に茶褐色の色彩が強くなるのを感じた。
見る限り、舗装道路が少なくなった印象だ。高い建物もほとんどない。橋上のさらにその先の路上にも、たくさんの物乞いが通行人を待ち受けている。
タイでは見られない光景だと思った。

橋の眼下では茶褐色のモエイ川が勢いを増して流れていた。
この川、地図で見る限りでは南に向けて(すなわちアンダマン海に向けて)流れているように思いがちだが、実は北に向かって流れている。
水源は南南東に約200キロのタイ・ミャンマー国境付近。北北東に約300キロ流れてサルウィン川に合流する。
サルウィン川はダムのない全長2815キロの巨大河川として知られている。

ミャンマー側の入国窓口に到着した。もう、ここではタイ語は通じない。僕はありったけの英語の知識を使って担当官に話しかけた。

「アイ・ウォントゥ・ゴー・トゥー・ミャンマー。トゥデイ・カンバック・タイランド」

こういう旅人が多いのだろう。相手は慣れた様子で、「この先の4番窓口に行きな」と顎でしゃくって見せた。
その4番では別の担当官が待ち受けていて「ワンデイ、ワンデイ」と叫んでいる。

言われるがままにパスポートと500バーツを預けると、「5時までにここに戻ってきな」と背中を押された。あっけない入国手続きだった。

イミグレを出たすぐ先では

「タクシー!」「タクシー!」

と声をかける運転手らでごった返していた。みな客を取ろうと必死だ。近寄ってくるだけならまだよい。
中には人の手を引き、自分の車に連れて行こうとする者も。車と言っても20年落ちのバンか、古いバイクに荷を付けたサムロー(三輪自動車)
タイの片田舎にもまだこういう場所はあるが、ここがミャンマーだと痛感したのはロンジー(腰に巻く布)を着用し
両頬にタナカ(現地の化粧)を施している人が多いからだった。

初ミャンマービールと置屋探し

ひどく喉が渇いているのに気付いた。そういえば、宿を出てから水分を補給していない。
そこで僕は、かねてから試してみたいと思っていたミャンマービールにチャレンジすることにした。
ところが、周囲をいくら見回してもビールの看板や暖簾は出ていない。試しに、現地の食堂を覗いたが、そこでもビールは置いていないという。
たまりかねて近くにいたバイタクの運ちゃんに聞いてみた。

「川沿いのレストランにならあるぞ」

深々と礼を言って、その場所を目指した。

店の名は「リバービュー・レストラン」と言った。「なんだ、そのままじゃん」と思いながらも、開放的な店の造りには満足できた。
二つ離れたテーブルでは、現地の若者がミャンマービールの生を楽しんでいた。
「僕もあれ!」と指を指して注文すると、しばらくして出てきたのは、日本の「生中」よりも小ぶりのジョッキ。
なぜかコースターが蓋代わりとされており、回りの客たちもそのようにして飲んでいた。
何の作法か店員に尋ねたが、真相は最後まで分からなかった。

喉も潤うと、いよいよ師匠の足跡を訪ねる旅に向かうことにした。
実はこの時のために、前日、ビルマ語を話すラディーらメーソートの置屋の女の子たちから、簡単な単語を教わっていた。
肝心の「置屋」を意味するビルマ語は「サポーサイ」
「昇天する」が「フィービー」
「まだ」が「マピレブ」
「デカい」が「ジジ」
「気持ちいい」が「ガオンデ」
「勘定(会計)」が「パサシメ」という具合に。

これだけの単語で置屋攻略をするつもりだった。
とはいえ、置屋がどこにあるかも分からない。そこで、近くにいたバイタクの運ちゃんに声を掛け、「アイ・ゴー・トゥー・サポーサイ」と言ってみた。
運ちゃんは始めキョトンとしていたが、繰り返すうちに合点がいったのかハッとした表情を見せ、「これか?」と聞いてくる。
左手で丸く筒を作り、その中に右手の指を挿入する仕草をしていた。

こればかりは全世界共通であった。「それだ!そこへ行きたい」と思わず日本語で返したが、もはや言葉は無用だった。
運ちゃんはバイクの後ろに乗れという。その目は笑っており、「お前も好きだねえ」と言わんばかりの表情だった。
言われるがままに僕は後部座席に座ると、振り落とされないようシートをしっかりつかんで、現地を目指すことにした。
運ちゃんはスミナイさん(35)と言った。

ミャワディーの置屋とはいかほどか

ミヤワディーの置屋は、国境のイミグレからバイクで15分は走った「住宅街」にあった。
片道2000チャット(約46バーツ)。何度も曲がったり近道したりしたので、その正確な場所は今となっては分からない。
帰りの足も困ると思い、スミナイさんにはこのまま待ってくれるように頼み、一緒に店内に入ることにした。

2階建て住宅ではあるものの、1階部分はトタンで囲っただけの簡素な造り。電気も小さな裸電球がぶら下がっているだけで、まさに土間であった。
取りあえず、そこにあった木製のテーブル椅子に腰を下ろす。ミャンマービールを注文して、女の子の品定めをすることにした。

ママらしき中年の女が声をかけて、女の子を並ばせる。奥の方からも姿を現し、最終的に20人ほどが僕の前に並んだ。
1回250バーツ。だが、この中からチョイスするには勇気や困難が伴った。
年齢もさることながら、ふくよかなタイプも多く、頬のタナカも僕には魅力的には映らなかった。土間に直接裸足で立っているのも気になった。

衛生面のハードルも高かった。どこでシャワーを浴びるのかと聞くと、トイレと共用になった奥の一角でという。
試しに覗いてみると、大きな甕の中に雨水が貯まっていた。トイレも土間に便器が置いてあるだけの簡易なもので、ここでシャワーを浴びるかと思うと気が引けた。

案内してくれたママさんやスミナイさんには悪いと思ったが、結局、女の子は選べずに、国境まで戻ることにした。
少しばかりのチップを渡して店を出た。帰りのバイクの後部座席でつくづく思った。

「僕は、まだまだ修行が足りない。師匠にはかなわない」と。

タイへの帰路も、何の問題もなくスムーズに進んだ。ミャンマー側出国窓口では担当者が僕を待っていてくれてパスポートを渡してくれた。
スタンプもきちんと押されていた。
こうしてタイに再入国した僕は心のモヤモヤも晴れぬまま、車を返すためメーソート空港のレンタカー屋に向かった。

※ラディーちゃんともう一夜過ごしたかったな…

ミャンマーのビール


当地で最も著名なビールと言えば、ミャンマービールで決まり。
ミャンマーブリュワリーという会社が生産している。傘下ブランドとして、第2の都市の名を取ったマンダレービールもあり、この2つで大半のシェアを占めている。

味は総じて薄く、炭酸の泡感覚と麦の香りを楽しみながら、ガブ飲みするビールというのが印象だ。
生ビールもあって、レストランではタワー型に挑戦することもできる。

親会社は、実は日本のキリンビール。
キリンの世界戦略の中で買収され、系列に収められた。ただ、伝統の味への支持は高く、キリンもその辺りは大切にしていく考え。
ミャンマーを訪ねたら、試したい味だ。

・・・つづく。