カンチャナブリー県(上):早撃二郎のタイ77県珍紀行

バンコクから北西に400キロ。西部カンチャナブリー県サクランブリー郡のミャンマーとの国境ゲート前に今、僕は立っている。

時刻は午後6時をちょうど回ったころ。イミグレーションの窓口もほんの少し前に閉まったばかりで職員たちが後片付けをしているのが見える。

ゲートと言っても踏切のような赤と白の縞模様の遮断機があるだけ。目を盗んで簡単に突破も可能と見えた。

僕はここに立ち尽くしあることを考えていた。そう、コッソリとミャンマー側に入国できないか。

 

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タイ・ミャンマー国境。なに食わぬ顔で通り抜けれそうなくらい警備がゆるい。

 

このまま立ち去るにはあまりにも悔いが残りそうで嫌だった。

タイ人ガールとの出会いを求めてキモオタ肥満男がタイ全土を駆け巡る「早撃二郎のタイ77県珍紀行」は早くも5拠点目。

今回からはカンチャナブリーが舞台。

 

ミャンマー女性の国境置屋へ!

カンチャナブリーを目指した今回の旅。きっかけはいつもの師匠の一言だった。

 

「カンチャナブリーのミャンマー国境には知る人ぞ知る置屋があって可愛いミャンマーの女の子がたくさん並んでいるんですよぉお!」

 

すわ、本当か?

 

僕はいてもたってもいられなくなりバンコクから彼の僻地まで車で訪ねることにした。

 

バンコクからはカンチャナブリー県まではナコーンパトム県を経由。

ラチャブリー県に入った辺りで国道323号に入りその後はメークローン川沿いに上流に向けて道なりに真っ直ぐに進むだけ。

所々でのんびりとした直線道路が続きやがてカンチャナブリー市街地へ。ここまでの所要時間は約2時間半。

170キロの道なりはまだ全行程の半分にも及ばない。

僕は少しでも早く女の子たちに会いたくて有名な「戦場に架ける橋」の泰緬鉄道鉄橋も見ずに一路、国境に向かった。

 

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山道に入る手前。これから地獄の山道に突入するとは夢にも思っていなかった。

 

エラワン国立公園を右手にサイヨーク国立公園を左手に見た辺りからだんだんと山道になってきた。

時折あるヘアピンカーブではタイヤが音を鳴らしている。

現国王の名前を付したワチラロンコンダム(カオレームダム)によってできた人造湖が木の葉の陰から水面をキラキラと輝かせている。

いよいよもうすぐだ。ただ、ここまで思った以上に時間がかかった。国境のゲートが閉まるのは午後6時。そう時間は残されてはいなかった。

 

サンクラブリーの主な景観

集合写真

「ワット・ワン・ウィウェーカーラーム」

村にあるタイ・ビルマ・インドの建築様式を取り入れた混合様式の寺院ワット・ワン・ウィウェーカーラーム寺は

黄金に輝くモン族の仏塔が美しいことで有名。モン・ブリッジとともに当地のシンボルとなっている。

村は観光化が進んでいるが早朝に行われる僧侶による托鉢の様子は厳粛で観光客には神秘的に映る。

一度訪ねてみたい村の一つであることは間違いない。

 

「カオレームダム湖」

カンチャナブリーの自然と言えば国境を超えて続く深い森にクウェーノーイ川をワチラロンコンダムで堰き止めたことによって誕生した人造湖が特に有名。

ダムの名は現国王が皇太子時代に付けられたもので地元では付近の国立公園の名を取ってカオレームダムとも呼ばれている。
このうちサイヨーク国立公園から南北に広がり特にスリーパコダパス周辺までを含む森林一帯は雨期と乾季の気温差が激しく

雨期の半年ほどの間だけで1500ミリもの降水量があることで知られる多雨地帯。

この地にダムを建設する大きな理由はまさにこのことだった。植生は乾燥常緑林、落葉樹混交林、熱帯雨林が混在し、日本のように色彩豊か。

多彩な動植物の宝庫にもなっている。

 

「水没寺院参拝」

ダム湖が造られた際に湖底に沈んだ寺をボートを使って参拝する際の発着場もモン・ブリッジの近くにある。

ワット・サーム・プラソブは乾季であれば陸続きとなるが雨季になると水没してしまうため船でなければ立ち寄れない。

ワット・ウィ・ウェイ・ガラムは完全に水没しており雨期は湖上に出ている旗をお参りすることになる。

 

「モン・ブリッジ」

サンクラブリー市街の突き出た小さな半島からダム湖に注ぐ支流の一つソンカリア川対岸に架けられた総木材による橋が通称「モン・ブリッジ」

橋を建造した僧侶の名前を取ってかつてはウッタマヌソーン・ブリッジとも呼ばれていたが通称名が定着した。

対岸の小高い丘にはミャンマーに多いモン族の村があって住民の生活道路または観光客向けの歩行路として使われている。

現在の橋は2代目。2013年に襲った暴雨により橋が崩壊、1年以上の修復期間を経て全長850メートルの橋に立て替えられた。

 

国境の町での置屋探しは難航する!

国境の街「スリーパコダパス」に到着してすぐ目に付いたのがトラックの荷台から次々と降りてくるミャンマー人労働者たちだった。

タイ側にある勤務先での仕事を終えミャンマー側の自宅へと急ぐ人々だ。半数ほどは民族衣装のロンジーを腰に纏っている。

作業着ではない身なりから縫製や食品加工などの軽工業ではないかそんな見当を付けていた。

 

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タイ側のイミグレーション。人っこ一人並んでいなかった。

 

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乗り合いトラックから降りて国境へ向かうミャンマー人たち。

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家路へと急ぐミャンマー人労働者。

 

後で分かったことだが彼らは仕事のため特別に国境を超えることを許された人たちで通行の際、特に手続きは必要としない。

すぐ近くで見ていたがIDカードの提示などもなかった。いわゆる顔パスというやつか。

ゲートの向こうではミャンマーの国境職員が「おかえり」「お疲れさん」などと声を掛けているのが見えた。

何とも言えぬ牧歌的な光景に心が和んだ。タイ側のイミグレの事務所で片付けをしていたおっちゃんに話を聞いた。

 

「おっちゃん、オレ、(国境の)向こうに行きたいんやけど?」

「お前はどこの国の人か?国籍はどこだ?」

「えっ?日本人やけど」

「ダメダメ、ここはタイ人かミャンマー人じゃないと通行できないんだ。ビザもないだろう。それに、もう6時過ぎだ」

 

ガーン。そんな…。

今回の旅はのっけから打ちのめされてしまった。ほんの少しだけ。すぐその先に行くだけなのに。

1時間もあれば済む用事なのに。国境ゲート前でぼんやりとたたずんでいたのはこんな事情があったからだったんだ。

 

この話には伏線があった。

というのもスリーパコダパスの国境少し手前、僕は道っ端に車を止めモタサイの運ちゃんに片っ端から情報収集をしていた。

師匠の言う置屋は果たしてあったのか。今どうなっているのか。事前にある程度の予備情報は必要と判断したからだった。

1人目と2人目の運ちゃんは何にも語らず「知らん」と素っ気なかった。

3人目で少しヒット。若い兄ちゃんだった。「そう言やあ、この辺りにも置屋があったって、オヤジが言っていた」

 

いけるかもしれない。僕はさらに数人に声かけを続けた。すると、とある30歳代後半の華奢な身体の兄ちゃんが

「お前も好きだなあ」とニヤニヤ顔で教えてくれた。

 

「あったよ、あった。この街にも置屋はあった。でももう今はないよ。2年半前にはなるかなあ。軍がやって来てね、閉めろって」

 

やっぱりそうか。師匠の言う情報は確かだった。訪ねたのはもう5年半も前のことって言っていた。

軍政になって全国で次々と閉鎖を命じられる街の置屋。ここスリーパコダパスでも例外ではなかった。クーデターから3年余り。

僕ら庶民の憩いの場所はこんな片田舎でもなくなってしまったのだ。

 

ところが、であった。

「でも、まだあるぞ」とモタサイの兄ちゃんはニタリ顔で言う。

「えっ、どこどこ」と僕。

「あそこさ!」と運ちゃんが指さした先は、国境の向こう側。

「ミャンマー側にはまだ置屋がある。俺たちもたまに行くんだよ」とドヤ顔の運ちゃん。

僕が国境超えを決意したのは言うまでもない。すぐさまイミグレの窓口を目指したが、到着した時はすでに6時過ぎ。

すでに書いたように応対はけんもほろろで、押し問答したが入れてもらえなかった。

 

国境ゲート前では30分ほどたたずんだだろうか。でも、もうどうしようもない。何の打開策もなかった。ダメだと諦めるしかなかった。

僕はミャンマー側の置屋に行ったつもりになってイメージだけを膨らませ、今日の宿を取るためサンクラブリーの街を目指すことにした。

 

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スリー・パゴダ・パスの夕暮れ。人も車もまばらで、時がゆっくりと流れていた。

 

サンクラブリーの夜遊び事情とは?

サンクラブリーの市街地は国境から25キロほど行った人造湖のすぐ脇にある小さな集落を指した。

中心部にあるローカルのマーケット周辺がわずかに開けているだけでセブンイレブンも地域に1カ所しかない。

バービアはおろかカラオケやスナックさえも目にすることはできなかった。

途中すれ違ったモタサイの運ちゃんに「女の子と遊べるか」?」と聞いてみたが怪訝そうな表情で「ない」と一言。

意気消沈した僕はすっかりと暗くなった夜道を宿泊先を求めて車を走らせた。

 

宿はいつものように飛び込みで探した。1件目は満室で、2件目で「お部屋あるわよ」と若い女将さん。

案内してくれてびっくりしたのはまるで白雪姫が泊まるかのようなお嬢さん趣味の一室だった。ここでさすがに朝までいることは耐えられなかった。

お姉ちゃん抜きでこんな部屋に泊まる自分が想像できなかった。ここで何をしろというのか。そそくさと退散した。

 

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メルヘンな部屋。カップルならいいかもしれないが。

3件目はゲストハウスの名が付いた一軒家。その裏にある離れに通された。壁にヤモリが這う何の変哲もない宿だったがこれで十分。

朝7時前からハンドルを握り置屋情報に心を躍らせてきた僕。国境が超えられず繊細な心はすっかりと折れてしまっていた。

「明日以降は大丈夫だろうか…」

そんなことを考えているうちに睡魔が僕を襲った。

深い深い眠りへと誘われた。